ウラジオストック

 

ホテル プリモーリエは、ウラジオストック駅から歩いて5分とかからない所だ。

駅から荷物を持ってホテルに行かなければならないので、近くが一番。

 

まだ朝の10時。普通はチェックインは2時頃から。

まぁ、荷物だけでも預かってもらえれば、と思いながらフロントへ。

ここは、フロントらしいフロントがあった。

しかし、殆ど英語は通じない。バウチャーを見せて、後は黙って立っていた。

だいぶ長い事かかったが、なんともう部屋を使っていいようだった。

このホテルは朝食付だったので、朝何時から、どこでかを確めようと聞いてみると、

「ニイエット、朝食は無い」と言う。バウチャーを指差して、

「ねぇ、ここにブレックファーストって書いてあるでしょ?」

と言うと、私の辞書から、「上司、決定」の文字を指差す。

 

「?????」

ふとした事から、いきなり解決した。

フロントの人は、今日の朝食の事を言っていたのだった。

まあ、朝10時すぎなのだから、勘違いしてもしょうがないが、普通、

16−17日宿泊予定なら、当然16日の朝食なんて付いてるわけないじゃない!

案内された部屋は、とても綺麗だった。

 

ただ、ハバロフスクのホテルの部屋とは逆の東向き。つまり、午前中は日が当たって暑い。もっと困ったのは、

ダブルベット!

私たちは、ダブルベットが嫌いで、いつもツインベットルームを頼む。

でも、英語は通じないし、バウチャーにもツインの文字があったので、敢えて確認しなかった。

「う〜ん、かえて欲しい。」と主人。

「英語通じないとまた、大変だし、ベトナムの時みたいに、一気にボロい部屋にされちゃうかもよ!」と私。

“どーぞ、御自分で”そう、いつも交渉役は、この私!

 

以前、ベトナムへ行った時、案内されたダブルの部屋をツインにかえてもらったら、

確実に一ランクは下の古い部屋になってしまった経験がある。

それにこの部屋は、眺めが最高にいい。

ウラジオストックの金角湾を一望し、なんと、サンヨー製の冷蔵庫。最新のテレビ。ワイングラスやお皿のセット。

シャワールームには、石鹸、シャンプー、歯ブラシまである。

「ここ、きっと、スイートルームじゃない? 戻ってくる夕方には、東側の部屋だから涼しくなるし…」

と、もう完全にこの部屋でOKした私。 実は、もうめんどくさかった。

主人も、交渉するのはあきらめ、シャワーを浴びる。

 

“朝から、部屋が使えるし、眺めがいいし…   よかった!  ”

っと、この時は、これから7時間後に起こる出来事なんて、想像もして無かった。

11時すぎにホテルを出発。

今日のお昼は、“レストラン サクラ”へ。

ガイドブックによると、“名前は日本食の店のようだが、ロシア料理の店。安くてうまい”らしい。

やっと、探し当てた“レストラン サクラ”は、ホテル ウラジオストックに隣接していた。

地図では、完全に別の場所なのに、当てにならない。

 

外見は完全に、日本風。中の内装も和風。

「うどん屋さんみたい!」と思ってたら、何とメニーの最初のページは、日本料理。

“うどん100ルーブル(500円)、トンカツ150ルーブル(750円)など”

 

次のページには、ボルシチなどのロシア料理。

ロシアのうどんも食べてみたかったが、値段の割には美味しくない事は確実なので、やめた。

以前、カナダのバンクーバーで、テンプラうどんを頼んだら、お汁のダシは、魚の味(魚介鍋風)、テンプラは、

きゅうり、人参などで…。

まあ、味は美味しかったけど。

ロシアのうどんの味と具も確めるべきだったかなぁ!

 

いつものように、ボルシチと水餃子のような、ペリメニ、チャイ、コーヒーを注文。

ここにも、食べたかった、キノコのような形をしたパイで蓋をしてあるスープは無かった。

ここのボルシチはかなりすっぱい。カブとキャベツの赤酢付けが一杯で、ハバロフスクの

“ロキシー”で食べたボルシチのような肉類などは一切入って無かった。

これが、本当のボルシチの味なのかもしれない。

ペリメニもたっぷりのスープのなかに、かなりの餃子らしきものが入って、結構美味しい。

持参した醤油を付けるともっと美味しかった。

 

全部で、86ルーブル(430円)

“うどん”は高いが、ロシア料理は安いようだった。

お腹も一杯になった所で、ウラジオストックの港と街が一望出来るという展望台に向かった。

展望台には、ケーブルカーで行けるのだが、なかなか乗り場が見つからない。

「クジェ フリクニョール?(ケーブルカーはどこですか?)」の繰り返し。

 

やっと見つかり、乗車。

箱根の登山列車のよう。短いが急だ。何と一人たったの1ルーブル(5円)。

あっという間に到着。

なかなか眺めもよく、風が心地好い場所だ。

 

展望台には、かなりの数のアジア系観光客がいた。

台湾か、香港だろうと思っていたら、中国人だった。

それも、北京のはるか西、西安からの35名の団体。

「飛行機ですか、船ですか?」と聞くと、

「列車とバスです」と。

そうか! 中国とロシアは同じ大陸だったのだ。しかも、隣接している。

 

“中国人も海外旅行するようになったんだぁー”と思うと同時に、

“物価の安いロシアだからこそ出来る旅行なのかも”とも思う。

 

午後になるとここ、ウラジオストックも暑くなる。

“潜水艦博物館へ”一人20ルーブル(100円)。

潜水艦の中へは入れるので面白そうだと思ったが、後ろから入り、狭い中を歩いたら、あっという間にもう外に

出てしまった。

 

一番大きいと言われる“グム百貨店”は、建物は立派だが、品物はあまり無く、寂れた感じだ。

初日に両替した100ドルがまだ一杯残っている。

信じられないほど、お金を使ってない。

結構、レストランにも入っているのだが、欲しいというものがあまりない為、

お土産も買って無い。

 

ガイドブックの地図上にサーカスとのいう文字があった。

情報が、全く無いので、本当にあるのかどうかもわからなかったので、

「サーカスはどこですか?」と聞いて、「ニエット」と言われるかどうか試してみた。数人に尋ねると、

皆一同に同じ方向を指差した。

と言う事は、やはりあるわけだ。

「何時から?」って聞くと「6時ぐらい?」と言う。

 

一度ホテルに戻って、サーカスのことも聞いてみる事にする。

朝とは違う英語を話すスタッフがいることを期待して。

と、言うのはハバロフスクで情報交換した、男性2人組みも同じホテルに泊まって、英語が通じたと言っていたからだ。

 

ウラジオストックの中心部の街並みはヨーロッパのようで趣がある。

港に停泊している軍艦が無ければ、ここがかって軍港として、外国人を締め出していた重要拠点という雰囲気は無い。

1992年に外国人に門戸が開放されて以来、隣国中国人がかなり訪れるようになったが、最近コレラなどの伝染病の為、

国境を閉鎖しているとの事だった。

 

ホテルのフロントに行って見る。あ〜、同じメンバーだ。

「サーカスはどこでやっていますか? 何時からですか?」と尋ねたが…

反応無し。再び地図を取り出して、説明していると、

スタッフの一人が、電話の受話器を私に渡した。

私は、咄嗟に、“サーカスに電話をしてくれていて、英語を話す人がいるから直接尋ねたら”という意味かと思い、

受話器を受け取ると、そこからは思いがけない言葉が…

「宮本さんですか?私は通訳のxxxxです。」

 

“え!! これって、、、”そう綺麗な日本語が聞こえてきた。

 

「宮本さんたちが泊まる部屋が違うのですが、宮本さんにはロシア人の友達がいますか?」「いいえ?」 

「そうですか、実は昨日誰かが、このホテルに宮本さんたちの部屋をいい部屋に代えるように電話があったそうです。

今の部屋だと、あと250ルーブル必要になります」

なるほど、どおりで眺めが抜群のスィートだったわけだ。

 

「はぁ? 私たちはツィンベットルームがよかったんですが、案内されたのはダブルベットルームで…ただもう、

言葉が通じないのでダブルであきらめた所なんですが…」

といって見たが、通訳さんにはベットの数は問題ではないようで…

 

「いかが致しますか? あと250ルーブル払えば、今のままの部屋を使えますし、

そうで無ければ元々予約した部屋に移って戴く事になりますが」  

 

“ルーブルは一杯残っているし、日本円にして、2人で1、250円のプラスなのだから”と一瞬思ったが、

“どーして頼んでも無いのに、追加料金まで払ってダブルベットの部屋にいなければならないの?”

という考えが頭をよぎり…

 

「もう部屋のシャワーなど使ってしまっているのですが、いいのですか?もしいいのなら、

ツィンルームの方がいいのですが…」

と返答。

ここで、フロントとバトンタッチ。

 

この後、どういう会話がなされたかは不明だが、私たちは部屋を移動する事となった。

せっかくだから、移動する前に、部屋からの眺めを写真に撮る!

 

「ははは! やっぱり、こういう部屋だよねぇ!」

次に部屋は、2階の道路に面した、ツィンルーム。

またもや、西向き。暑い。でも韓国製の新しい冷蔵庫付。スィートだってバスタブ無しのシャワーだけだったので

、機能的には、そんなに変わらない。

部屋の広さと眺めと向きは全く違うが…。

日本で予約した時は、1泊9、800円という1種類だけだったが、

あと1,250円プラスでスィートルームならそのほうがいい日本人は多いかもしれない。

“あ! でも250ルーブルは現地価格だから、いろいろ通すと、その5、6倍かなぁ…” 

“ツィンのこの部屋で十分! 殆ど部屋には、いないのだから”

もし、あの時夕方一度ホテルに戻らず夜遅くなってから部屋に戻っていたら、部屋移動はどうなっていたのだろうか?

 

部屋騒動で、サーカスの事を尋ねると言う雰囲気は、吹っ飛んでしまった。

「直接行ってみよう」という事になり、またすぐ出掛ける。

 

今度は市内を走っている路面電車に乗ってみる。

「ツィールク(サーカス?)」「ダー」この電車でいいらしい。

中に車掌さんらしき人が乗っていない。たぶんハバロフスクと同じ一人2ルーブル(10円)だろうと思い、

手に握り締めていた。

地図でみると、ここら辺らしい。乗る時尋ねた人も、ここで降りろという合図。

「え!どこでお金は払うの?」「…………」誰も払っていない。よし降りちゃえ!

無賃乗車! ではありません。そうです、タダなんです。いやぁー世界広しと言えども、ここだけでは?

「ベスプラートヌィ(タダ?)」と尋ねた人は、かなりの老人。

初めは、日本だって70歳以上は無料のパスがあるので、私たちはただではないのかと思ったが、やはり、無料だった。

 すごい!!

 

そうそう!サーカス。

結果から言うと、見られませんでした。

大きな体育館に“цирк(サーカス)”っと言う文字は見つけられましたが、最近はやっている雰囲気無し。

たぶん一年に何回か、モスクワ辺りからサーカス団が来た時だけ公演があるのかもしれません。

 

“じやぁ…”という事で、また路面電車に乗って戻る事に。

ウラジオストック駅に着いた時、ふと考えた。

“まだ、お腹空いて無いし…このままどこまでこの電車が続いているのかこのまま乗ってみよう”って。 

 うふぅ!ただですよ!!

 

でもウラジオストック駅を過ぎると、電車はすぐに折り返した。

“なぁ−んだ、ここがもう終点だったのか!”

という事は、反対側の終点も確めたくなって… そのままGOー!!

 

サーカス場の地点をまた通過し…、お隣りの誰かさんグーグー!!

“線路は続くよーどこまでもー”のごとく、なかなか終点にならない。

ハバロフスクの時と同じようにまた不安になる…。

もちろん、地図なんて無いわけだから…。

しかしそこは、やはり路面電車。シベリア鉄道に続いているわけも無く、30分過ぎて、漸く、終点。みんな降りる。

運転手も降りる。でも私たちは乗ったまま。

だって、始発点には人がウジャウジャ待っている。 

つまり、一度降りたら、もう座れない…。 待ってよーっと!

 

運転手さんが戻ってきた。“何であなたたちまだ乗っているの!!”

何て言わない。寛大だ!!

やはり、ただだから、別に誰が何回乗っても関心ないのかなぁ…

 

私の友達で、ここが気に入りそうな人がいる。

彼女は、会社に行きたくない気分の日、会社には有給届を出していても、親に休みだと言うと、

何かと用事を言いつけられて

、面倒だから、一応はいつもどおりに家を出て、山手線をぐるぐる回って、時間を潰す人だ。

ましてここは、定期要らず。

私たちのせいで、座れなかった、ウラジオストックの皆さん、ごめんなさい!

でも、この日はラッキーだった。

だって、私たちの回りに席を譲るべき人がいなかったんだもん!

う〜、何と言う怠慢!! 

 

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