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ひとりごと

2003年6月4日   初めての沖縄旅行!

海外は、かなり行っていても沖縄は未踏の地でした。

理由はただひとつ。沖縄に行く予算で海外に行けるから!! 

 

国内便は高いですからね。でも、最近安いツアーや1万円切符も使える事があるからかなり近く感じられるようにはなってきました。

そうは言っても、なかなか行けない沖縄に何故行ったかと言うと・・・

単に、無料で飛行機に乗れたので!・・・です。

 

3年前にカナダ、アメリカの友人宅訪問にアメリカン航空で行った際に1回で15000マイルを確保し日本国内ならどこへでも1往復無料の権利を得ていました。アメリカンと提携のJALのみ利用なのですがなんと北海道でJAL便が飛んでいるのは千歳のみ・・・春のJASとの統合で期待したのですが、アメリカンのマイレージはJALしかやはり使えず・・・なら、今回東京に行くついでに羽田から一番遠い沖縄に飛んじゃおうって考えたわけです。同行者は、母からマイレージを譲り受けた姉。

 

飛行機代が無料と言っても、ホテル代はかかるし、沖縄は汽車が無いからやはりレンタカーを借りないと不便と言うことで、両方ともインターネットで予約。

 

1泊目のホテルは名護市の先の本部半島にあるコンドミニアム「ホテルゆがふいん備瀬」。

2人一部屋朝食つきで一人4800円。バルコニーからは伊江島とエメラルドビーチが目の前に見えて、ベッド+和室ですからなかなかよかったです。近くの姉妹ホテルの温泉にも入れました。

ただ、周りには「海洋公園」以外何もないのでレンタカーでないと食事とかがホテル内に限定されます。

2日目の宿泊は那覇市内の中心地、国際通りに近い「ホテルちゅら琉球」。インターネット料金で1泊朝食つき一人4350円。ここも大浴場があり朝風呂まで入って来ました。

 

レンタカーは生まれて始めての利用。借りるまではドキドキもんでしたが、乗ってみるといつも運転している軽ワゴンと殆ど変わらず快適でした。

・・・で、どこに行ったかと言うとですね・・・、

 

11時前、飛行機を降りてすぐにレンタカーを借りてルート58号を一路北上。

梅雨の晴れ間とやらで、快晴!! 日頃の行いがいい(^_^)

 

アメリカ人ばっかりのアメリカンビレッジを通り、住宅街のフレンチレストランでコースランチ。

スープ、サラダ、メイン、デザート、コーヒーで1000円。よかったなぁ・・・!

 

真栄田岬、万座毛、名護を通って、ホテルに着いたのが5時。温泉に入った後、 

チョッとビーチで貝殻を拾ったりしてから沖縄料理を食べに。ここも8種類の料理+コーヒーで1000円! 沖縄の民家の納屋を改装したとは思えない素敵なムードのお店でした。旅行雑誌「るるぶ 沖縄」から選んだレストランでしたが2軒ともGOOD!

 

翌日も、いい天気!

パイナップル畑に立ち寄り、今度は東海岸を南下!

 

いやぁ・・・ビックリ!! 何がと言うと、沖縄人の安全運転・・・。私は、超安全運転派なのですが北海道に来てから、制限速度+20キロで走っていても追い越されるので、それに慣れてきたせいか、40キロ道路を50キロで走っている車がとても遅く感じられて・・・。前の車に追いつくという北海道では信じられない現象が(^^ゞ。しかも、片道1車線の追い越し禁止ばかりの国道なので、着いていくしかない。

 

それでも、沖縄の本島は意外と小さく、昼前には、島々を海の上で結ぶ「海中道路」付近に。

景色は抜群! 先端の伊計島付近の海はエメラルド。ブルーの砂浜もいいですが、このエメラルドグリーンの入り江も神秘的でした。

お昼は、島の南端付近の「浜辺の茶屋」で。満潮だったら真下まで波がくるそうで、ここも素敵な茶屋でした。その後、鍾乳洞の「玉泉洞」がある、「沖縄ワールド」、沖縄戦で命を落とした方々の名前が彫られている「平和記念公園」、「ひめゆりの塔」に行き、レンタカーを返却。走行距離は2日間で約300キロ。ガソリン代は2300円。2日間のレンタカー代は約10000円したが、一人当たり一日3000円で済みました。4人で旅行していたらすごい得ですよね。コンドミニアムなんて4人だと一人当たり朝食付きで2800円でしたよ!

 

最終日は、バスで「首里城」へ。見学した後、石畳を通って反対側へ。

途中NHKの朝ドラ「ちゅらさん」の「古波蔵家」で使った家も通りました。

国際通りはお土産天国。牧志市場も青や黄色の魚や、豚の顔が並んでなんとなく、東南アジアの雰囲気。そう言えば、沖縄の人の顔はやはり、台湾人と似ていますね。すぐにわかります。

本州から殆どの人が移住してきた北海道とは違い、琉球王国の血がそのまま残っているなぁ、と感じました。

 

夕方の便で一路羽田へ。2泊3日でしたが、おもいっきり動き回っていました。

ん? ビーチでのんびり? そんな事してる暇ありません(^_^)

 

万座ビーチを万座毛から見た風景

ハイビスカスの花

アメリカンビレッジ

ホテルのバルコニーからの眺め

ホテルゆがふいん備瀬の部屋

海中道の先はエメラルド色の小島

平和記念公園

首里城

浜辺の茶屋

シボレー、クルーザーと言う車

エイサー踊り

パイナップル畑

気分は少女(^^

気分はプール付豪邸のマダム!

屋根のシーサーと青い空と

沖縄料理

納屋を改造した沖縄料理店

毎日見ていたい海の色

 

 


 国際通り裏にある焼き物ばかりのヤムチン通り」にあるお店

 

 


おきなわワールド内にある

鍾乳洞「玉泉洞」

戦前からある石畳の周りは

ガジュマルや熱帯植物

2003年2月23日   2003世界ジュニアスピードスケート選手権大会 釧路大会

3日間にわたって繰り広げられた釧路ではじめての世界大会が無事終了!

天気に恵まれ順調に競技が進められ、ボランティア通訳として参加した私もほっとしているところ。

とても毎日楽しませてもらったし参加出来たことに喜びを感じているところだけど、「よかったよかった」ばかりでは、次への進歩がないから釧路市民として感じたことをここに書いておこうっと!

 

写真付の釧路の掲示板にも始まる10日前に書いたように、釧路市民の盛り上がりは最後まで今一だったと思う。特に毎日10時から競技が始まってお昼過ぎまではまぁまぁ観客スタンドも埋まっていたけれど、毎日2時過ぎから行われた表彰式の頃には観客席はガラガラ・・・。

 

花束を手にメダルを授与された誇らしげな選手たちが後ろの観客席にも振り返って手を振ってくれるのにそこにはあまりにも見ている人が少なくて、申し訳けなくって・・・。

日本人選手が滑走している時はそれなりに応援の声もかかっていたけれど、海外選手の好タイムが電光掲示板に出て、アナウンサーが「これはリンクレコード更新です」と言っても、歓声や拍手がない・・・。

最終日の総合優勝者への国旗掲揚、ウィニングランもわずかの観客の中・・・。

 

これは、市民に責任はなく、やはり宣伝が下手だったという気がする。一生懸命地元のラジオ局は応援宣伝してくれていたけど、これとてラジオを聞かない人には、全く耳にはいらなかっただろうし、新聞にも直前になってかなり取り上げられていたけど、「釧路ではじめて開かれる世界大会で日本開催も13年ぶり」と言う大変な大会であることがあまり印象付けられなかったと思う。

 

それに、新聞の報道などを見ても10時から開催されるのはわかるが、何時ごろに表彰式が行われ、何時ごろ終了するのかがわからなかった。私たちでさえ、当日になってはじめてその日のスケジュールが渡されたので、これでは、寒い中いつまで待てばいいのか見に来てくれていた観客にはわかるはずもなく途中で帰ってしまった人も多いようだった。

 

中心になって長い間これに携わってきた釧路側の人たちは一生懸命やっていたことは事実だと思う。初めての経験ばかりですべて世界ジュニアスケート連盟の指示通りにこなしてきたのだろうし、各自与えられた仕事は頑張ってきたのだと思う。ただ、釧路ならではの独自のアイディアを市民から募集したり、市民と一緒に盛り上げていこうと言う努力は足りなかったのでは。

 

「氷都」というぐらいだから会場の入り口には氷祭りで見かけたような「氷像」の1つでも欲しかったし、協賛金を集めた後、お礼に立派なパンフレットを送っていたようだが、それならポスターの1つでも郵送してくれれば、目立つ所に貼ってあげたのにと言う声も聞いた。

 

中学校の先生からは、先生方に前売り券を買って欲しいと言う申し出はあったようだが、「生徒に絶好の機会だから見に来るように」と言うことを伝えて欲しいと頼むでもなく、ポスターすら置いて行かなかったらしい。中学生以下を無料にしたのは、とってもいいことだと思うが、この世界大会を知らなかったと言う学生もラジオを聞いていたらかなりいたようだ。

2006年にトリノで開かれる冬期オリンピックに必ず出てくるような選手の滑りを見たら釧路に住む子供達がもっとスケートに興味をもつようになることは間違いないと思ったのに。

 

中には、学校での観覧として初日参加してくれた生徒の親が、どうして私の掲示板を見つけたのかは不明だけど「子供が観覧してとてもよかったと興奮して帰ってきたので私も見に行きます」と言うコメントを書いてくださってものすごくうれしかった。日曜日でも、最後の表彰式のときぐらい近くの中学校の生徒でもどっと見に来てくれたら・・・と、また思ってしまったけれど。

 

一番気になったのは釧路にある私も会員になっている「国際交流ボランティアの会」が活用されなかったことだ。最初は、この会の行事などが年間を通じてかなりあり、それだけでもこの会の事務局やスタッフの人は忙しいので、親善を目的とした大会ではないから係わっていないのかと思っていた。

この会で知り合った人たちは、ボランティア精神にあふれている人たちで、本当にいい人たちばかり。

 

実際はこの大会が釧路で開催されることが決まった2年前からずっと何かお手伝いをしたいと思っていた人たちばかりで、以前ラムサール条約の国際会議が釧路で開かれた時、ホテルで通訳ボランティアや観光ボランティアも経験していたので市の方に会の事務局から尋ねてみたら今回はジュニアの大会なので、「買い物には行かないし、観光もしないので必要ない」と言われ断られてしまったとの事。

 

確かにそういわれれば、そうかなぁ・・・とも思ったけど、蓋を開けてみれば、ホテルに泊まっていた人から聞いた話では、ホテルに設置されたインフォメーションにいる人は英語には堪能だけど釧路の人ではないため、聞かれる度にフロントまで確認していたとの事だった。

 

どんなことを選手が聞いてきたかというと、「電器屋はどこ?」「お寿司屋はどこ?」「お土産はどこに行けば買える?」「洋服を買いたいのだけど?」等は、大会前日に釧路に到着した人にわかるはずはないし、

確認してから場所を教えてあげても「電器屋で英語が通じなくて買えなかった・・・」という選手やお寿司屋さんがあまりにも値段を気にしないで高いトロばかり食べるので心配になってホテルに問い合わせて来たりしていたなど。

 

一番の見込み違いは、ジュニアなのだから買い物はしないなどと考えていたことで、ジュニアと言えども

18-19歳の選手は立派な大人。日本に来たら電気製品を買いたい人がいてもおかしくないし、はじめて世界選手権に出場している我子を応援しようと来ていた親もかなりいたこと。

こんなとき、ホテルに「観光ボランティア」と言うコーナーを設け、一緒に電器屋までついて行ってあげたり、寿司屋で必要なら食べる前に説明をしたりする人を試合が終わった3時ごろから夕方まででもボランティアの人がすれば、東京から来たようなプロの通訳でなくてもたとえブロークンな英語であってもその気持ちが海外の選手や家族に伝わったのでは・・・と思うととても残念!

 

私たちボランティア通訳としての仕事は「式典、表彰式のアナウンス、選手の誘導」としてだったので、選手や海外の役員が聞いてきたことには答えたが、こちらからは話し掛けれなかった。

これは、試合に集中している選手への当たり前の接し方だと素人でも心得ていたから。

 

国際交流のために派遣されたわけではないのでこれで充分だと思っていたけれど、試合終了後の「クロージングバンケット」と呼ばれる打ち上げパーティには参加することを要請されていなかった為、一緒にボランティア通訳をしていた人と、これは拘束時間が長くなるので参加要請がないのだったらと思い、こちらとしては釧路市民としてお手伝いできることがあればしたいと言う申し出をしてみたけれど、東京などから来ている通訳で人数は足りているので必要ないと言われてしまった。

 

試合が全部終了した後なら「釧路の印象は?」「試合はどうだった?」などこちらから聞くことも可能だし、逆に選手や家族が「釧路は何が有名なの?」「いつもこんなに天気がいいの?」などと聞かれた時「私は東京から来ているのでわかりません」などという人ばかりでは、と思ったのだけど。

大会役員やスポンサーなど招待された人ばかりの打ち上げがどんな様子だったのかはわからない。

 

かなり不満たらたらに書いてしまったけど、ここは「ひとりごと」だからね!

天気に恵まれ明るい冬の「氷都釧路市」を海外から来た選手や国内各地のスケート連盟所属の役員の方々には印象付けられたのがせめてもの救いかな。

それと一緒に仕事をした釧路の方々にはとても親切にしてもらいました。東京から来ていた通訳さんたちの一部は、ちょっと怖かったですが(^^

 

最後に一言! 役に立ったかは別として、とってもいい経験をさせてもらって感謝!です。

今度、釧路で世界大会が開催される時は、転勤族の妻の私は釧路市民でないことは明らかだけど、観光都市釧路の前途が明るいことを期待します!

2003年1月11日   おみくじは「小吉」

去年のお正月にも行った釧路の「厳島神社」に初詣。お正月は帰省したのでチョッと遅いですが。

クリスマス近くになるとクリスチャンになりたくなるのに、やはり初詣は神社!

いつもお賽銭あげてお願いする事は同じ。「家内安全」&「健康」。

 

主人は何をお願いしたのか聞くのを忘れた・・・。来年の元旦に会社が合併するからこの1年いろいろ大変だと思うからその事かな? 毎年状況は厳しくなるし、いつまで今のポジションがあるかわからないし。

リストラ対象にまでならなくても、嫌なポジションになったらどうするかなぁ?ストレスたまるぐらいなら転職しちゃう? でも、この年じゃぁねぇ・・・。海外でボランティア? 収入も必要だしねぇ。とにかく健康ならどうなってもいいけどね。その時はその時。着いてきまっせ!

 

お守り付おみくじを買うと、主人は「大吉」私は「小吉」。まぁ、控えめな方がいいもんね(^^ゞ・・・と負け惜しみ。 中を読むと、今年は、あせらずじっくりと行動した方がいいらしい。災い転じて福となるような事が書かれていた。でも、いつも思うのだけどこのおみくじの文って今一現代用語じゃないのでわかりにくいと思いませんか? だから私は、いつも自分にいいように解釈しているかも。

 

「願い事」の所に、「人に頼むとかなう」って書いてあった! これはなかなかいい!!

そこで、みかんが食べたくなったらボソッと「みかんが食べたいなぁ・・・願い事は人に頼んだほうがいいっておみくじに書いてあったもんねぇ」と言うと、手に入った(爆)。でも、いつまで効力があるかは???

2002年12月22日  今年の旅行総括!

旅行が共通の趣味の私たち夫婦。この1年も元気にあちこち行くことが出来ました。

厳冬期にはSLに乗ってオーロラフェスティバルを見に知床温泉、ダイヤモンドダストパーティのある川湯温泉、市主催の雪原ウォークツアー、花の季節には芝桜のきれいな東藻琴山、チューリップの上湧別、一面花畑の初夏の富良野、紅葉のきれいな旭岳など。ゴールデンウィークには千歳から韓国へ、夏休みは稚内からフェリーに乗ってサハリンへ。毎月のように北海道内、海外へ。

 

これもひとえに、元気だった事。ここ数年がた減りのボーナスの明細を前に1回の豪華旅行より3回のリーズナブル旅行という気持ちでいられることかも。家の中を見渡しても、この1年で増えた家財もないし。そう言えば、1年以上前からテレビのリモコンが壊れたままで、音量調節もテレビまで行かなくっちゃいけないし、釧路に来てからFMが入らないコンポ・・・。壊れたらオーブン付のを買いたいと思ってるけど壊れない電子レンジ。有形財産は結婚以来何も増えてないけど、またこの1年旅の思い出という無形財産は増えました。2003年初の旅行は、帰省となります。来年も、元気でまた旅行が一杯出来ますように!

2002年11月20日  ニューヨークに行ってきました!

ある日ニューヨークに住む友人から1通のメールが来たことでこのたびの計画がはじまりました。「9月11日ワールドトレードセンターのテロ1周のセレモニーでハリエットがバイオリンを演奏することになったので多分世界中に映像が流れると思われるので見てね」と。

 

彼女とは、カナダ人の友人を通して東京で知り会って、たまに会うこともあったけど去年の9月にニューヨークに転勤になってからは、彼女が病気したりして殆ど連絡を取ってなかったのに、このメールがきっかけで急に訪問することになったわけです。

ニューヨークのどこに住んでいるのかも住所付近がガイドブックには載ってなかったので、バスに乗って現地付近に到着するまでは全くわからないと言う状況でした。

 

伴ったのは、お土産代わりに尋ねた所、山とリクエストが来た為にスーツケースには「常温保存可能つゆ付き生うどん」等の日本食がどっさり。日本食が好きだったもんなぁ、でも・・・重い・・・。日本人と違って「そんな、お土産なんて気にしないで、手ぶら出来てね」なんていう事は言いません。ハッキリしているから無駄もなく合理的です。

 

あ!忘れてはいけません。スーツケース以外にも「母」「姉」を伴ってました(爆)

電話で「ニューヨークの友達の家に行くことになったけど行く?」の一言で3人旅となりました。

 

「今度の家は、東京のマンションと違って狭いけどよければ何もお構いしないからどうぞ」と言うお言葉に甘えて。狭いと言ったって、3人並んで寝て、スーツケースを2個広げて、周りに充分スペースのある部屋と私たち専用のバス・トイレが用意されていましたが。

 

ただ、毎日の生活に忙しい彼女たちなので、言ったとおり、よけいなお構いはされませんでした。

初日は、夕食を用意してくれていて一緒に食べましたが、その他は朝起きて自分たちの分だけ朝食を用意して食べて出かけて夜遅く戻ると言う毎日です。

 

台所も冷蔵庫も我家状態で自由に使わせてもらえるのは楽です。咽喉が渇いたら冷蔵庫から勝手に好きなもの飲めばいいし。もちろんスーパーで、食料は補充しておきましたよちゃんと。

 

さて、ニューヨークは初めて。母は、17年前に行っているけどツアーだったので何にもわかってないし。5泊7日だったので、正味4日間だけど、毎日4ドルの乗り放題のメトロカード買って

歩き回りました。ハードでした! 母が一番元気だったかも(^^

 

彼女の家がマンハッタン島から北に汽車で40分行った所にある高級住宅街の中だった為かなり観光地に行くまでは時間をとられましたが、高級住宅街のものすごくきれいな紅葉も見られたし、歩いて10分のビーチもきれいだったし大都心と郊外の両方を一度に経験できました。

 

マンハッタンで行ったのは、「エンパイヤーステートビル」「メトロポリタン美術館」「グランドゼロ(WTCの跡地)」ミュージカル「42ndストリート」「ストンプ」あちこちの教会「ゴスペル」「ブルックリン橋」「セントラルパーク」「5番街」「ロックフェラーセンター」「カーネギーホール」あと数箇所のブランド品のディスカウントストア等かな。結構行ったでしょ!! もうガイドブック見ないでも、かなりの所にバスと地下鉄で行けそうです。初日は地図とにらめっこで疲れましたが。

ボストンからカナダ人の友人もはじめの2日間来てくれて一緒に行動したけど、ニューヨークのマンハッタンを地下鉄やバスで動くことは初めてだったようで、みんなでおのぼりさんでした。

 

一番よかったのは、市役所横からブルックリン橋を歩いて渡って真ん中へんから見たマンハッタンの夜景がとてもきれいで気候も思いもかけず暖かかったのでGREATでした。

これで、WTCがあったらなぁ・・・って。

でも、あの橋は真ん中まで行ったらマンハッタンの夜景見ながら戻った方がよかった・・・・

渡りきっても、たいした繁華街じゃなくて地下鉄の駅まで30分ぐらい歩くことになったので。

 

エンパイヤーステートビルからの夜景もすごい。ゴージャスって言う感じです。

テロの後、自由の女神の中も登れないようだったので無料のスタテン島行きのフェリーの中から「自由の女神」を拝んで来ました。

往復しただけだけど、中でホットドック食べたりしてたらあっという間でした。

無料のいいクルーズでした!まぁ、もっとまじかに見たほうが迫力はあったと思いますが。

 

「カーネギーホール」の8ドルのツアーは、その日の夜のフィラデルフィア交響楽団のリハーサルが聞けて母が大喜びしてました。

  ただ、やはり夜遅くまでJAZZとかアポロシアターのアマチュアナイトなどを楽しむには

マンハッタンのホテルじゃないと無理ですね。

 

ミュージカルのチケットなどは日本からインターネットで購入していってよかったです。

定価で買うのはためらっていたのですが座席まで指定できるし、現地で割引券をGETしてから

各劇場に買いに行くのはマンハッタンに友人が住んでいない限り無理ですね。ただ、今回色々なHPで、安い手数料で代行してディスカウントチケットを買ってくれるサイトも見つけましたが。

一番高いのは、もちろん日本の代理店を通して依頼した場合です。

 

食べ物に関しては、アメリカはやはりつまらないです・・・。

主人と行く東南アジアやロシアなどは、たとえ口に合わなくても色々試したりして楽しみますが、

ステーキ、ハンバーガー、ポテトなど、味も想像できる物ばかりでしかも安くないと、レストランに入るのも時間の無駄のようで、結局フェリーや汽車の中でホットドックなどを食べたり、ラ-メンを食べたり。レストランで食べたのは、スパゲティーとサンドウィッチなど。2つオーダーして3人で分けても一杯余りました。

 

衣料等の物価も日本よりも高い気がして、おまけにサイズが大きいし。日本の100円ショップで買えるようなものが2ドル、3ドルぐらいしていたり。・・・で、特に欲しい物がありませんでした。でも、母と姉のスーツケースにはしっかり4個もバッグが・・・!

 

思い残すことないぐらい充実した旅でした。

ひとつ忘れたと言うか、無理そうだったので余り固執しなかったのですが、日本で購入すると高い「トールペイント」の本や材料などを見損なったことぐらいかな。

もうちょっと時間が有れば探したけど。

 

ニューヨークの地下鉄もかって言われていたような危険な雰囲気も全くなかったし、道を聞いた人全員がものすごく親切で驚きました。わざわざ自分の行く方向じゃないのに連れて行ってくれたり。余りにも親切なので聞いたほうが早いと思った時はすぐに人に頼る癖がつきました(^^

迷って、よけいな体力使うよりも楽でした。

 

しかしなんと言っても、釧路から成田が遠いし高い。今回はJASとJALが合併したキャンペーンで安く羽田までいけましたが、普通の料金なら成田―ニューヨーク往復の方が安い!!

NW(ノースウエスト)で往復したので13000マイル以上獲得出来たので、JASの羽田から青森や高知ぐらいの無料航空券ももらえることになるので、遠距離の旅行にはこのマイレージは特典が大です。もうちょっと時間があったら、アメリカ周遊やカナダによってこれば15000マイルもらえて、羽田―釧路往復券もらえたのですが・・・。

 

ちょっととは言え、姉もわたしも仕事してるのでね。でも、その姉帰国して4日後からバンコクに5日間行くと言うハードスケジュール。もともとバンコクに行く予定の前にこのニューヨーク行きが入ったのですが。大学生になった姪たちの、悲鳴が(^^ゞまぁ、たまに母親がいない不便さを経験するのもよいのでは!

 

70歳の母も元気。ニューヨークに出発する前日はコーラスの発表会で夜ステージに立ち、帰国2日後にはホテルでその打ち上げ。私も、急にこの寒い気候と伴に釧路の生活に。

 

何より天国の父がほっとしていることでしょう。「ママを旅行に連れて行ってあげて欲しい」が

遺言のひとつでしたから。ん!2年前にその約束は果たしたつもりだったんですが!

仏教でお葬式を挙げた父ですがニューヨークの教会で「キャンドル」を灯してきました(^^

 

*デジカメは夜景も結構きれいに写ったのでよかったです*

写真は「エンパイヤーステートビルの86階から」食べきれないスパゲティーを前にした母と姉」「夜のブロードウェイ」「ゴスペル」「友人の家の中」「セントラルパーク」「友人宅から徒歩10分のビーチ」「ブルックリンブリッジからのマンハッタン」「友人宅の台所で朝食準備」

  

 

  

 

   

 

2002年9月1日    一年経過! 

あっという間の1年だった。北海道、素敵な響きのする場所。

この地に住む事になるとは全く想像してなかった。

九州で生まれて、四国、関西、中部、関東で育って、結婚してはじめて東北を経験してとうとうここまで来たと言う感じだった。

 

釧路の人は釧路の事をあまり魅力的に感じていない。こんなに自然豊かな事も、道路が渋滞しない事も、冬に晴天が多いことも、6月頃になると街中で一斉にあちこちがお花畑となる事も、見たくたって他の場所では見られない霧のたちこめる幻想的な夏の街の風景も、よそから来た者を暖かく迎える事のできる性格の人が多く住む街だっていうことも当たり前だとしか思ってないかも。

 

何でも体験したい性格、人と知り合うのが好きな性格、この性格は転勤族の妻としては向いている気がする。人生設計なんて立てたってそのとおりになるとは限らない。だったら、与えられた人生をより自分らしく充実した物に出来るかがすべて。この1年で、素敵な場所で、素敵な人と、素敵な経験をする事が出来た。

あとこの地に何年住む事になるのかは誰にもまだわからない。

だから毎日を素敵に過ごせたら…、誰にも迷惑をかけないように…、何よりも健康で、そう願ってる。

 

2002年3月4日  川柳初挑戦!

今まで川柳なんて作った事もなかったのに応募してみました。

何に応募したかと言えば、先月行われた「みらいザウルス2002」と言うIT情報展覧会

で何故か募集していたカニにまつわる「かにカニ川柳コンテスト」。

で・・・・結果は見事落選(>_<)

結構ノッテいっぱい作ったのに、やはり665句も応募があったのじゃしょうがない。

でも、記念にご披露!

まず応募要領の例題は、「一日に 一度(ひとたび)カニを 食べたいな」

では、私の作品発表☆☆☆ジャジャジャジャーン!

NO1.「カニ食えば 金が無くなり あと茶漬け」

NO2.「価値はある 脚一本でも カニはカニ」

NO3.「安かった 脚が一本 足りないが」

この3句を送った後、賞品が花咲きがに、タラバガニ、毛がにである事が判明して、

NO4.「もらえれば 花咲き毛ガニ 問わないわ」

NO5.「詰め合わせ タラバだけでも 食べたいな」

NO6.「食べタラバ 花咲き毛ガニ 我が家来い」

で・・・調子に乗って

NO7.「朝はカニ 昼は抜いても 夜もカニ」

NO8.「カニ安し 食べて見タラバ カニかまだ」

NO9.「カニ恋し 単身赴任の 夜鍋かな」

NO10.「カニ買った 留守電入れて 帰り待つ」

NO11.「カニでれば ボロイ宿でも 又予約」

NO12.「カニ送れ ここでもそんなに 安くない!」

いやぁ・・・・いいと思ったんだけどね(^^;)。

因みに、

最優秀賞「カニあるよ メールでさそう 里帰り」…留守電は時代遅れだったか・・・

毛がに賞「平和だな カニはいつでも ピースして」…あ!これ気に入った!

タラバ賞「育ちよい 口がてこずる タラバガニ」…意味が?

花咲き賞「かにむきの うまい主人を 惚れなおす」…むくのは私だ・・・

ポジティブな句がやはりよかったのねぇ・・・よく見ると私のはちょっと皮肉っぽかったなぁ?

で・・「川柳は 簡単そうで 奥深し」(^^

2002年1月21日   ユーモアは大事!

先週主人と2人で「くしろニューイヤーフェスティヴァル2002」に行きました。

「ウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラ」のコンサート。

実はこのチケット、仕事のお付き合いで買ったもの・・2人で12000円の出費。

あ・・・ぁ、1泊2食付きの温泉に行けるなぁ・・・なんて思ったりして。

東京では、時々第九などオーケストラも聴きに行っていたけれど、それはいつも誰かが当選した券を持っていたとかで、自分でお金を出してまで行った事はなくって。

ユーミンならあるけど(^^;)

それに、夜の凍結路を運転して行くと思うと気があまり進まなかったのですが・・・

いやぁ・・・楽しかったですよ!

眠気との戦いになるかと思っていたのに、このウィーンからはるばるやって来た楽団の指揮者がユーモアのあるひとで、バイオリン片手に指揮をし、コンサート後半なんて

観客に拍手やウェーブまで促したりして。選曲も誰もが知っている有名な曲が殆ど。

釧路出身のソプラノ歌手も交えてメリハリのあるコンサート。

もちろん、本当のクラシックファンからすれば邪道なコンサートかもしれない。

でも、会場は1500人の観客で満員。そのかなりの人数がお付き合いで購入したチケットだったかもしれないのに、これだけ会場を盛り上げたと言う事は初心者向け新年コンサートとしては大成功だったと思う。みんな満足して家路についたと思う。

あの指揮者とお話してみたいぐらい。一言も話さなくても彼がかなりのsense of humorの持ち主だってわかるもの。

亡くなった父の残した言葉「ユーモアのある人生はいいね」うん、そうだね。

いま何かに遅刻したら「プレッツェルが喉につまってちょっと気絶していました」

って言わなくっちゃ()

2002年1月8日   釧路発新人歌手「北野志保理」を応援してね!

3日クリスマスイブに続き、又「北野志保理」の新春初ライブに行ってきました。

来月閉鎖する「長崎屋」のしかも人の少ない4Fだったのですが、一応・・観客が来ていました。

昨年9月に釧路に来て以来、K−FMのRECORDSのオーデション第一弾に選ばれて6月にデビューしたと言う彼女を夫婦で応援しています。こんな事は初めてです!   (写真はここ!)

彼女の歌はFMくしろではよく流れている為、初めて偶然に生で聞いた時も、とってもなじみのある歌のように感じ、大きな運動公園のステージでまばらな観客をものともせず夕日を浴びて晴れ晴れと歌っている彼女を気に入りました。

その後も、「標津サーモン祭り会場」「ジャスコ」など結構足を運んでいます。

 

彼女は北海道教育大学釧路校の1年生。高校時代にはハンドボールで国体にも出場したスポーツウーマン。顔も結構かわいいし歌も上手い。ちょっと太ったようだが・・・!

新春初ライブのあと恒例のCD即売会。誰も買いに行かなかったら・・・でも我が家にもすでにサイン入りCDがあるし・・・と思っていたら数人が前に行ったので「ホッと」したりして。

スタッフの人に以前から気になっていた事をちょっと聞いて見ると、なんと彼女は全国デビューではなく、釧路中心で道内デビューとのこと・・・それで、テレビにも出てないのね・・・・残念・・・

 

「19歳を応援するのは、大学生以上だろうから全国の方が・・・釧路には大学が少ないし・・・」

「今のところは計画ないんです」と。そこへ横で聞いていた主人が大胆な質問を!

「何枚ぐらいCD売れたのですか」きゃぁ・・・こんな質問するなんて・・でも興味津々。

「結構売れたのですよ。2・・・・」2と言う数字を聞いて、「2万」と思った私たち。

そのあと「2000から2500枚ぐらい」というスタッフに「そ、そうですか・・応援してます」

と言って会場を後にした。う・・・ん、もっと売れてもいいと思うのだけど。

 

釧路から出た新人歌手をみんなで応援して釧路を盛り上げられないかなぁ・・・と感じつつ。

でも、家に帰ってからよくよく考えると釧路市の人口は20万人以下。

とすれば、釧路市以外でも売ったにせよ2000枚は釧路市の人口の1%以上。

日本の人口は1億人以上で、その1%は100万!!

・・・と言う事は、全国で売ればミリオンセラーじゃない?彼女(^^;!!

2002年1月1日   1年の計は元旦にあり 我が家のおせち料理はここ!

「計」とは「合算」「計画」「戦略」の意味かな?

物事最初が肝心だと言う事だろう。最近漢字を書かなくなっているからワープロで

自動変換されると、この漢字でいいのか心配になってしまう(^^;) ・・・

「肝心」は、「肝臓と心臓」という人間にとって重要な臓器から来ている言葉ですよね。

・・・・といいつつ、書くような新年の抱負も特にないなぁ・・・。

計画しても、計画倒れになりそうだしなぁ・・・。

まずは、北海道初めての冬、怪我、病気をしないで無事過ごす事。

1に健康、2に健康。あとは・・・人様に後ろ指を指されないように・・・

「今さされないように」の漢字が「刺されないように」が最初に出た。う・・痛っ(笑)

2001年12月26日 今年もお世話になりました! 来年も宜しく!!

「一年が速い・・・・」いや、生まれた時から同じ長さだ・・・

速く感じるのは、歳をとった証拠だとか・・・

今年一年を現す漢字が「戦」だそうだ。みんな何と戦ったのだろう・・・

仕事、自然、テロ、病気、受験勉強、ウィルス、恋愛、自分自身・・・・

来年こそは世界中が「夢」「平穏」のある年になって欲しい。私自身は、あまり何も戦ってないから偉そうな事は言えない。

でも戦ってはないが、何事にも前向きに積極的にやってきたつもり。

人生、短いか長いかは残念ながら自分はわからない。だから、今日できる事は今日する。

後悔だけはしないために! これが私のモットー。

え! 「掃除あとまわしにしているのは誰だ(爆)」来年も宜しく!!

2001年12月8日  無料、粗品に弱い・・・・

「先着500名:粗品進呈」なんて広告に書いてあるとついつい行ってしまう私。

粗品なんて100円ショップに売っているようなものなのに、ガソリン代かけてまで

行ってしまうのは、暇な証拠? 新聞に掲載される「xx物産展:三平汁無料」なんて書いてあると、またまた出掛ける。そして今最大の時間を奪うものが、昼食のあとの昼寝!

これこそ究極の無料サービス・・・・(^^;

2001年12月5日  そうかぁ・・ガスじゃないんだ・・・

最低気温がマイナス10度以下の日が続き、お風呂のお湯が沸くまで50分ぐらいかかる。

釧路は光熱費がかかる。水道代が高く、その上ホッとカーペットなどを使うと電気代が跳ね上がるし、ガス代もうなぎのぼり! 水がものすごく冷たいので、給湯、お風呂などはガス食い虫。

と思ったら、違った・・・・。「いやぁ・・ガス代も高くなってきましたねぇ・・」と話していたら、

「北海道の家はさ、給湯もお風呂も灯油のボイラーで沸かすのさ」知らなかった!

 

灯油はガスより安い。これは知ってる。だって、今までガスストーブ使ってたもの。

ただ灯油の匂いがしないしすぐ下から暖まるので高くてもガスストーブにしてたけど、ここでは、ガスの種類も違うし第一部屋にガス栓が無く、諦め。

しっかし、この20数年前に建てられた社宅は何考えて作ったんじゃぁい!

 

鉄筋3階建てなんだけど、外に灯油タンクが無いからわざわざ18リットルのポリタンクで灯油買ってきて自分で入れなくっちゃいけない。殆どの家の外には200リットルぐらいのタンクがあって、灯油屋さんに頼んでおくと外から給油してくれるのに。給湯もお風呂もガス。おまけに、屋根の雪やツララが思いっきり、換気扇フードにあたる。3Fの屋根から我が家の1Fに「ガッチャーン」って!でも、家の中は東京の冬より絶対暖かい。外にでなければ寒さを感じない。

ん!このまま冬眠?のはずもなく、凍結路を亀のごとく運転してます!所沢ナンバーに要注意

2001年11月27日 クリスマスの準備

1年の中でも、このクリスマスが近づいていく時は結構好きな季節だ。

だんだん寒くなっていくのだからそれ自体は恐怖なのだけれど、あのクリスマス独特の雰囲気が好き! クリスチャンではないけど、この時期はクリスチャンになりたいぐらい(^^;)

いままでは仕事帰りに新宿駅南口のイルミネーションを見るのを楽しみにしていた。

ここ釧路では、夜は出歩かないからあまりわからないけど、イルミネーション自体があまりないかもしれない・・・。よく家の庭でクリスマスイルミネーションを華やかにしている地域がテレビなどで放送されて、ちょっとうらやましかった。

 

でも、あの華やかさを「なんか、私たちHappyfamilyしてますよ」って見せ付けられているみたいでいやだという人もいるけれど、私は好きだなぁ・・・

だって、隣の家の庭がガーデニングできれいにしていたら「うちにも花を!」って言う人がふえて、街中がきれいになるじゃない? それと同じで「クリスマスをみんなで楽しみましょう」って思えて、平和のありがたさまで感じちゃう! まぁ好き嫌いの問題だから迷惑に思っている人もいるだろうし、あの電光イルミネーションは結構電気代がかかる。しかも、庭やベランダにコンセントがなければ家の中から延長コードで引っ張るしかないが、隙間風が入るので釧路では絶対無理・・・

 

うーーーん。でも、こんなものは用意しましたよ!

釧路は、今は太平洋側だからまだ雪も積もらないけれど、1月から3月までは日中でも零下なんだそうで。と言う事は、雪が積もった時に雪だるまを作れば春まで融けない!氷の彫刻を道路に置けばBeautiful!!なんじゃぁないの?(誰が作るのかは別にして!)

寒さを利用したアイディアみんなで考えなくっちゃ! ねぇ、釧路市長さん!・・誰だっけ()

2001年11月21日 「おさげしてよろしかったですか?」

北海道には方言が殆どない。

以前青森に住んだときには、近所のおばあちゃんたちの話す「津軽弁」がどうしても理解できず

朝、「XXXXXXだねぇ・・・」と話し掛けられると聞き返すのも悪くて「ですねぇ・・・」としか答えられず、それ以上話が弾まず「あーぁ・・」と思ったものだった。

それに比べるとここは、イントネーションが少し違う時もあるが、まず理解できない言葉はない。だからあまり地方に住んでいる気がしない。

 

ところが・・・・どうしても理解できないセットフレーズがあるのだ。

それは、レストランで食べ終わってお茶を飲んでいる時「おさげしてよろしかったですか?」とよく聞かれる。まだ目の前にはお皿がいっぱい。これから下げるのなら普通は「おさげしてよろしいですか?」のはず。

 

又、何かを買うとき、まだ払う前に「現金でよろしかったですか?」と聞かれる。

どうして、これから尋ねる事に過去形を使うのだろう・・・・

これは、どうやら釧路OR北海道独自の丁寧語接客フレーズのようだ。だって、トールペイントで一緒の人に聞いた時の反応が・・・「北海道だけなのかなぁ・・・」だったので!

絶対、少なくとも私の生まれ育った関東以南では、これからの動作を尋ねる時に過去形では言わなかったと思う。

 

ただ、慣れとは恐ろしい。これがあまり不思議に感じなくなってきている・・・・

だから気をつけて! ぬか喜びは禁物!!

もし私がそのうち「カニ送ってよろしかったですか?」と電話で聞いてもそれはまだ送ってないと言う事だ(^^;

2001年11月14日 「安いもの VS 高いもの」

釧路に来て2ヵ月半。

同じ日本の中だから物価に対してさほど差があるわけではないが、それでも感じている事を今日は少しお知らせ!  まず安く感じるもの。

 

その1:住宅の値段

これは間違いなく土地の値段がそのまま比例していると思うがやはり安い。立派なカナダやアメリカにあるような洋風住宅が2000万円台で買える様だ。カフェカーテンが出窓にかけてあってセントラルヒーティング、駐車スペースも2台。暖炉もあったりしてなんと優雅な生活をしているのだろう・・・と築25年の古いアパート社宅の住民はうらやんでしまう!

もっと安いのが中古マンション。釧路では新築マンションは皆無だが。

「築15年。60u:230万円」の広告に、思わず財布の中を覗き込んだ(^^;

   

その2:時給

これは、新聞の求人広告を見てはじめは「うそぉ・・」となった。

「時給640円」という文字があちこちに・・・。東京近辺ではスーパーなどで800円ぐらいだし、派遣社員、契約社員だと1400円ぐらいだったのでかなりの差。

「電話オペレーター:釧路プリンスホテル」という広告があって、「わぁ・・テレオペの仕事がある!」と思ったら「時給680円。35歳以下」「・・・・・」

 

その3:鮮魚

これは、毎日お魚屋さんに行っても飽きない。

魚だけでなく、貝の種類も豊富だし安い。ただ、2人分には量が多いときもあるけど。

新鮮かつ安いと言う事は主婦にとってとてもうれしい!

 

そして高く感じるものその1:ガソリン

埼玉は競合が激しかった為1リットル93円などの前半だったのに対し釧路は103円ぐらいと

10円は高い。中には90円台のところもあるが殆ど103から107円が多い。

帯広などでは、95円ぐらいのようなので海に近い釧路が何故高いのか不思議。

 

その2:車の保険料

これは驚きもの!住んでいる所によって保険料が違うなんて・・・

保険更新の見積もりが埼玉のままで来たので釧路に変更してもらったら保険料が15%ぐらいUPになった・・・。やはり、北海道は事故率が高いと言う事だろうか・・。

 

その3:水道代

一般的に地方のほうが都心部より高いようで、かって横浜から青森に来た時にも高く感じたが、埼玉から釧路でもやはりかなり高く感じる。基本料金が高いようで・・・。

 

慣れてしまえば、安い高いも両方感じなくなるかも。ただ、釧路の人曰く「東京の給料で地方で暮らすのが得」確かに。でも、それも会社があってのこと。主人の同業他社が営業譲渡となった。

けっこう大きなところだったので驚き。1000人のリストラらしい・・・。うちは、平気・・・・?

ゾッ!としたら熱が・・・38度。昨日のどが痛かったのに無理して出かけたからなぁ・・・。

国際ボランティア協会の行事の打ち合わせ。「この日は行けます」と言った手前、1日中出かけてしまった。熱は去年の夏、ハノイから帰国後に出して以来。釧路に来てから体の調子も絶好調だったんだけど。・・というわけで、今日はおうちでジット?してました。このまま冬眠?(爆)

2001年11月7日 「巻いてみませんか」

昨日の北海道新聞の求人広告には笑ってしまった!

この「巻いてみませんか」の見出しのあとに「昆布巻き作業員募集(出来高制)

この非常に私にうけた求人広告のことを地元の人に話したら「あれね、家でやるのよ、

どんと昆布などの材料が届けられて、いつまでにって言われるらしくけっこう大変だって」と。

そうか、こんな内職もあったんだ・・・。

 

先月「いくら加工作業員、期間12月中旬まで、場所デンマーク、要パスポート」という求人広告にもすごく興味をそそられたが。一体釧路からなんでわざわざ人間を?と思わずパスポートはあるので問い合わせてみたくなったが!

この時期、水産加工の人手が足りないらしい。サンマ、鮭が豊漁だから!

でもどの仕事も朝の8時過ぎから夕方まで毎日。ちょっと体験してみたいなんていう甘い考えでは雇ってもらえなさそう・・・・。でも内心やってみたいんだ!!

 

「国際電話のオペレーターの次は昆布干しの仕事でーす」なんていったら、うけそう?

いくらの醤油漬けはけっこう簡単。今我が家の冷凍庫にはいくらの醤油漬けが一杯よ!

むふっ!

 

さて、前回この「what’ new」をUPしたあとに5月から10月までの分を別ページにしたつもりだったのに、5月25日の初回分を残してあとが何故か消えてしまった事に気づき、たいした記録でもないのに落ち込み、何人かの人に「パソコンの中に昔のが残っていたら送って!」っとメールしたりしていたのですが、なかなか見つからず、中には「パソコンにトラブルはつきもの。なくなった過去は振り返らず、前向きに考えたほうがいいよ」というアドバイスも貰い、「そうか、たいした記録でもないし、今思い出しても何を書いたかあまり覚えてないのだから、過去を振り返らずに行こう!」と思った次の日、なんと完全バージョンを送ってくれた人がいて、それも、会ったこともない同じWordHPを作成している仲間からで、いやぁ、うれしかったねぇ!

そして、めい一杯過去を振り返って、たいした事を書いてない事を改めて確認(^^;)

2001年11月1日 冬支度=物入り

はやいもので今年もあと2ヶ月! いやぁー本当に1年が早い!

釧路では、ストーブは一年中使っているようなものなので、特に冬支度というわけではないのですが、車のタイヤを夏タイヤからスタッドレスという冬タイヤにそろそろ交換する時期です。

もう朝は、車のフロントガラスが霜で凍っているのですよ・・・

 

それに、ここはマイナス20度にもなる極寒冷地なので、車も寒冷地仕様にしないといけなくて、バッテリー、セルモーター、ワイパーなども交換。タイヤと合わせて十数万円の出費。

おまけに、電柱なんかにこすったものだから、プラス6万円ぐらい。定期点検もあるし、寒冷地用の衣類や滑り止め付の靴もいるし、物入りの季節です。

会社もかっては寒冷地手当てがあったのですが、今は無し・・・・。

 

946(釧路)の掲示板に自分のパソコンの写真をUPしようと思ったのですが、上手くいかないので、別の掲示板を設けました。

コメントも書き込めますので、感想などを書いてくださいね。

題して「多趣味の掲示板」です。いま、トールペィントなどの写真を含めて8枚UPされています。

でも、時々テレホーダイタイムだと、かなり表示されるまでに時間がかかったり固まったりしてます(^^;)。表示までに時間って日によってだいぶ違うのですよね・・・

あ・・・登録する時「946の電子掲示板」にしたままだ・・・

  

                                                                       

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