2003年10月27日      なんと以前住んでいた同じ市に住むことに・・・

1月1日からの主人の勤務先が「池袋」に。

たぶん吉祥寺、府中で、確率としては吉祥寺と言われていたから中央線沿線でいろいろ調べていたのに・・・。

中央線沿線は高いけど、もし武蔵小金井、国分寺あたりに住んだら、母校や一橋大学の聴講生になろうかと考えていたのに・・・。

 

おまけに、主人が「あの図書館に行ける市がいい!」と譲らない。そうなんです・・・以前住んでいた市の図書館はとてもよくって、毎週土曜日に新刊が山と入るので、それを目当てに行っていたぐらいなのです。

でも、私としては住んだことのない所に住みたい・・・だったのですが・・・池袋に通勤に便利な所と言うと、そんなにはなく、結局以前住んでいた市に逆戻り。

主人の希望を叶えてあげる事に・・・。代償は大きいよぉーーー(^_^)

 

前は社宅でしたが、今回は賃貸マンションなのでチョッとはきれいになりそうです。でも、予算の関係上、不動産表示で徒歩7分と駅からは少し離れています。

社宅よりもチョッと小さいし、倉庫もないけど、バルコニーは広そうだから、釧路からまた一杯植木を持って行けそうです。

いつもの転勤なら、「次の年はどんな所かなぁ・・・」とか「週末はどんな所に行けるかなぁ・・・」などと、楽しみもあるのですが、7年半も住んだ事のある所・・・。うーーーーん。つまんなーーーーい。

でも、今の世の中、仕事があるだけでも、いいとしないとねぇ・・・。

今回の異動は、会社の合併がらみなので、半年しか住んでいなくても異動が出た人もいるし、肩たたきのようなポジションとなった人もいるから、本当に人生どうなるかわからない・・・感じです。

 

釧路を離れるにあたって、何が一番さびしいかと言うと、ここで築いた人間関係かな。別れを言うのが本当にいやだなぁ・・・と思える人がいることが幸せであり、さびしいんです・・・。

だから、また遊びに来そうな気がします。今までは、引っ越した場所をその後訪れたことがないんです。実は。

青森は定年退職でもしたら、ゆっくり・・・なんて言っていましたけど(^^

釧路は待っていてくれる人がいると思うと、すぐ来ちゃいそうです!

 

でも、以前住んでいた時は、発見できなかったよい点も、チョッと違う目で見てみようと思っています。

山なし、海なしを嘆いてもしょうがないですものね。

釧路で知り合った人が、東京に遊びにきた時に遠慮しないでよってもらえるような家にしたいです、また。

池袋から電車で16分です。都心で遊ぶには充分便利です。是非、声を掛けてください。

悲しいけど、また更新の時はもっとポジティブにもどります! 

SEE YOU!&THANK YOU! TO KUSHIRO

2003年10月15日       地震よりも信じられない・・・今時期の転勤・・・

大地震の4日後に出た東京勤務の転勤辞令。

 

なぜ今?という感が未だにします。14日からとにかく東京都江東区にあるビルに出勤しなくちゃならず主人は12日に釧路を去っていきました・・・。まだ釧路に来て2年2ヶ月だから来年の春ぐらいまではまず転勤は無いと思っていたのに。それも、いつもなら1ヶ月前に出る辞令がたったの2週間。

しかも、一応江東区勤務だけど今月末の辞令で都内のほかの支社勤務となる可能性が高く結局下旬まで住む所も決められない状態・・・。

来年1月1日に会社が合併するからそれに伴う異例人事が今月3回にわたって発令される。

会社にしてみれば、各個人の事情なんて考える余地もないのだろうけど、私だって仕事しているし2週間で移動なんて無理・・・。会社に家族不帯同申請して、今月末まで私は釧路にいることにしたけど、それだって住む場所を決められないからなのに、会社は都内の移動なら通勤圏だから決めろと言う考え。

 

でも、江東区に通勤の便利な千葉方面を借りてその後、神奈川、埼玉方面だったら通勤大変なのにねぇ。

結局、3週間自費で主人はウィークリーマンション住まい。あーぁ、もっと釧路にいたかった・・・。

でも、会社に愚痴言ってもしょうがないですね。この北海道に住む機会を与えてくれたのも会社ですから。

これが転勤族の運命です。 出合った素敵な釧路の人たち、海、山、温泉すべてに感謝です。

また、新たな土地で頑張るしかありません。  だけど・・・・さびしいなぁ・・・都会に戻ると思うと(>_<)

2003年9月29日   26日の大地震! 

 

いやぁ・・・驚きました!

まだ薄暗い午前4時50分。ガタガタと来たと思ったら、そのうちもう動けないほど揺れて、隣の部屋の食器棚から食器が飛び出て割れる音や、あちこちからのものすごい音で・・・

今まで、震度4と言うのは数多く体験しているけど、震度5以上は未体験・・・

 

思わず、これはもう終わりだ・・・このまま家が崩れて・・・いいやぁ、もう充分楽しんだから・・・なんて言うことが頭をかすめたんですよ。隣に寝ていた主人と手をしっかり握った(握られた?)記憶があるのですが、主人にその日の晩「ねぇ、地震の時、私を守らなくっちゃ、って思った?」と聞いたら、「いやぁ、自分のことで精一杯だったからねぇ・・・」ですって!! おまけに手を握った事も覚えてないそうです。

私は一瞬、一緒に死ぬならいいかぁ・・・って思ったのにねぇ(^^

 

そう言えば、これは逃げ出さなくっちゃあぶない?って思って、メガネをして起き上がろうと思ったら主人が「メガネがない、メガネがない」って騒いでましたねぇ・・・。

部屋を出たあと裸足のままの主人に「スリッパはいて!」って怒鳴ってましたから、やはり私のほうが冷静だったのかも。

 

普段冷静なのは主人の方だけど、何かあるとパニックになるのも主人なんですよねぇ・・・。

あーぁ、守ってもらうのは諦めかなぁ・・・(^_^)

 

マグニュチュード8.0と言う大きさのわりに被害がそれほどでもなかったのは、震源地が海底で陸から離れていて直下型じゃなかったからだと思うけど、それでも充分揺れました。

ただ、揺れている間、寝ていた部屋から一歩も動かなかった(動けなかった)ので、物が落ちて割れる様子を目の当たりにしなかったのでまだよかったのかも。

これが昼間で、あちこちから物が落ちてきたら、食器棚を支えに行ったりして、かえって危険だったと思います。

 

怪我をしている人の多くが、倒れそうな物を支えに行って、支えきれなくなって手を離した途端にその家具が倒れてきて下敷きになったり、あわてて外に出ようとして割れたガラスで足を切ったりしたようです。建物が倒れない限りは、安全な部屋にじっとしているのがいいのかも・・・と思いましたが、じっとしていて、玄関のドアが開かなくなって逃げ出せなくなったり、建物が潰れたら・・・それも命取りだけど・・・。どの程度のゆれまで自分が住んでいる建物が耐えられるかはわからないですからね。

 

阪神大震災のときは、多くの人が倒れた家の下敷きになって亡くなってるけど、北海道の家は関西に比べれば倒れにくいようです。まず第一に雪に備えて、屋根自体が軽い事。瓦屋根の家はありません。

又その雪の積もった屋根を支える為や寒冷地の為、壁が厚く窓が小さい事。地盤も凍ったり融けたりするので本州よりは杭を深く地中に埋めているそうです。

ただ、阪神大震災のときのような直下型地震が来たら、やはりかなりの被害が出る事は間違いないですね。

 

さて、私たちは主人の会社の社宅住まいです。築25年の鉄筋コンクリートアパート4階建ての1階。

被害はと言うと・・・殆どが食器棚を飛び出して割れた食器類です。

観音開きの上部はゴムバンドで留めてはありましたが、そのゴムが伸びきるまで食器が飛び出し、ゴムが伸びきって出来た隙間から下に落ちて割れたと言う状態です。

食器棚自体は壁に固定してあったけれど、ゴムバンドが伸びると言う事が頭に余りありませんでした。

紐でいちいち縛るのが面倒だったので・・・。

でも、1枚扉は何も留めてなかったので、中からかなりのコーヒーカップ類が飛び出して割れました。

そこには、頂き物のペアのコーヒーカップが5客あったのですが、お気に入りの4客がすべて1客づつ割れてペアでなくシングルとなりました・・・。あまり気に入ってないペアだけ今でも健在!

 

ウェジウッド、ティファニー、ロイヤルアルバート、香蘭社の茶器セット、中華セット、シャンパングラス、ワイングラス・・・かなり割れてしまって・・・。

地震直後は、まぁ形あるものは割れるし、このぐらいで済んで良かったなぁ・・・と思いましたよ。

時間が経つと、それも未練タラタラ・・・ですが(^^

 

冷蔵庫の中身も飛び出し、油入れも転がって中の油がレンジ台の上、床一面に流れてましたが、結構冷静で黙々と後片付けをして2時間もしたら元通りに戻ってました。

本棚から本は落ちましたが、通行の邪魔になる所ではなかったし、タンス、冷蔵庫、食器棚の上には何も置いてなかったからそんなに物が落ちてきて悲惨な状態ではありませんでした。

 

同じ社宅内でも、家具の置き方などによって多少被害状況は違うようです。

食器がだいぶ割れたり、電子レンジなどが落ちて壊れたりした家もあれば、ほんの数枚のお皿が割れただけの家もありました。我家も、炊飯器、ミキサー、コーヒーメーカーなどは落ちましたが、壊れませんでした。古かったりして壊れても・・・というものほど、壊れない物ですね・・・。

 

結婚時に買った大きな和ダンスが2つピッタリと和室に並んでいたのですが、間が15cmほど離れてしまいました。これが、重くて押してもビクともしませんので、そのままです。

やはり寝室には何も置かないのが一番ですね。あんなタンスが倒れてきたらたぶん自分の力では脱出できないと思います。本棚を階段のそばに置いていたお宅は、本が崩れて山になっていて階段が使えなかったと言ってましたから、本棚も奥の部屋の壁際にでも置いた方がいいようです。

まぁ、自宅なら壁にユニットダンス、作り付けの本棚がベストでしょうね。

 

まだ震度4程度の余震が続いているのでいつになったら収まってくれるのか・・・と言う所です。

震度4まではかなり揺れても、何も壊れない事が判ったので、震度4までならいいですけど、震度5以上は勘弁・・・ですね。

 

外のコンクリート壁もずれて、一部分崩れているので直してもらわなくっちゃ・・・。

今回は、この社宅の電気、水道、ガス、電話のライフラインがすべて大丈夫だったので幸いでしたが、同じ地区のひとで、家が斜めに傾いたり、外壁が崩れたり、ガスもれ、断水などの被害にあったところもあるのでただ、ラッキーだったと言うだけです。

「災いは忘れた頃にやって来る」ではなく、「災いは忘れぬうちにやって来る」と思ったほうがよさそうです。 ふぅ・・・・。

  

 

ダイニングに飛び散った食器類        冷蔵庫のドアは開いて中の物も落下

 

  

 

ブロック塀もずれて一部損壊  照明カバーも落下して破損  一部でも壊れた食器類は捨てるしか・・・

 

 

2003年9月1日    釧路に来て丸2年経ちました!

 

なんて早いんでしょう・・・

もう2年も経ってしまったなんて。

今年だって、あと4ヶ月しかないし。このところ時の経つのがいように早く感じられる。

 

「いろいろなところに行って、長期旅行の気分なんでしょう?」とたまに言われる。

その言葉に、よそ者と言う風に見られてる?と感じる時があるけど、否定はしない。

確かに、頭の中にいずれ、それもそんなに長くないうちに釧路を出ることになると言うことは常にある。

 

この2年間で行った釧路管内の温泉、観光地、産業祭りなどのイベントなどは数え切れないほど。

社宅の菜園で、野菜、花を育て、自然観察会などにも出掛け、夏はドライブ、冬はわかさぎ釣りを楽しみ、

釧路を拠点として活躍している音楽家を応援し、出掛けられる週末は、一日中家にいると言うことはまずない。やはり期限付きということがそうさせているのかも知れない。

 

海外で、ホテルのランクにこだわらず、そのホテルのある場所が便利かどうかだけ気にするのも、やはり出掛けやすいかどうかと、殆どホテルにいないのだから、寝に帰るだけなのだから、という考えから。

時間が無いから、思いっきり動く。・・・そうかも。

 

埼玉にいる時は、週末特に何もしてない時も多かったし、東京に新しい名所が出来ても、急いでいこうとも思わなかった。だから未だに、東京の観光地はわからない所が多い!

やはり、2人とも実家が横浜だから東京近辺は、いつでも行けると言う感じがする。

 

釧路は、今だから、今しか、今こそ・・・という感じがいつもする。

さて、その期限はいつなんでしょう・・・

辞令が出たら、確実に1ヵ月後には新任地に異動していなければならない。

2年経った今、新しい事はもうはじめられない。いつ辞令が出てもおかしくないから。

特に、私が急にいなくなる事で、迷惑を掛けることになる事は。

 

私の今の仕事は、東京に本社がある会社の教師として週2回6人の子供に英語を教えている訳だけど、後を引き受ける人がいない。釧路で新しい教師を見つける事は大変な様だし。どうなるんだろう・・・。

私がそんな話をすると、札幌支社の人も、「先生、異動がありそうなんですか・・・」と聞かれるけど、「いつあるかわからないですが・・・」としか言いようが無い。

初めから、転勤続なのでいつまた転勤になるかわからないのですが・・・と言う条件で契約しているのである程度の対応策は会社も考えてはいるのだろうけど。

 

友達知人をいっぱい作って家にも呼んだり呼ばれたりしているけど、それも会社の辞令ひとつで環境がまた変わる。さびしいけど土地が離れれば、一部の人を除いては疎遠になってしまうのはしょうがない。

ただ、昔に比べれば、メールと言う手段で離れていても身近に感じる事は出来る。

いずれにせよ、心の準備が必要になって来たことは確か・・・うーーーん(--;)

 

2003年7月7日 通訳には向いてないなぁ・・・

 

昨年に引き続き、今回もJICA(国際協力事業団)による海外青年招へいプログラム中の日本文化紹介の日に、華道のボランティア通訳として参加。

通訳と言っても、東京や札幌からプロの通訳が来ているのでボランティアはたいしてする事はなく、華道の講師たちが実際に参加者に指導する時に側にいて通訳する事があれば・・・というぐらい。

華道体験の順番としては、始めに講師代表による手本となる作品の生け込みがあり、そのあとに実際に生ける。その手本の通訳はその場で逐次英語に通訳されるのだが、聞いていて、じれったくなる時がある。

それは、内容が説明不足と思ってしまうから。これは、通訳者が説明不足なのではなく、下手に華道に関しては知っているのでついつい余計な事を感じてしまう。

 

例えば、講師が「枝や花を切るときは、まっすぐではなく斜めに切ってください」と言うと、通訳はそのとおりに訳す。でも、「とがったけんざんに刺すのに斜めに切ったら刺しにくそう・・・」って思う人も華道を全く知らない人だと感じるので私が初心者にお花を教える時は「水を吸収する面積を大きくする為に花や枝は斜めに切ります」と付け加える。もっと言えば、「花を切るときには、水切りと言って必ず水につけた状態で水管の中に空気が入らないようにして切ってくださいね」と。

 

でも、通訳と言うのは、その人が話す言葉を訳すだけなので、たとえおかしいと思ってもその通りに訳すしかないし、言ってはないことを余分に付け加える事も出来ない仕事。いわば言葉を違う言語に異動させるだけ。私なんて、ついつい余計な事をしゃべっちゃいそう(^^

通訳はもちろん目立ってはいけないし、表情もあまり顔に出せないからクールな性格にも見える。かっこいいなぁ・・・と思う反面なんか、ロボットのようでつまらないなぁ・・・と言う気もする。

・・・で、結論。私は、通訳は向いてない!ということです。

私の英語力だと、それ以前に同じに訳す事ができないと言うすごい欠点!をさて置いてですが(爆)

 

この日は、池坊の華道。だから私の習った草月とは言葉も違うし通訳として参加なので華道を知っていても、やはりその場にいるその流派の先生の指示を仰いで謙虚にしましたよ。勝手に教えちゃ、講師の立場がないものね。でも、ちょっとじれったかったけど。どう見ても変!って思っても、言えないしねぇ・・・。

 

ただ、このようなボランティア通訳として参加するのは、どちらかと言うと英語が話せる市民と参加者の交流を兼ねているような場合が多いので、それならOK!

全然問題ありません。おしゃべりですから(^_^)

 

 

 

               

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