1日目 |
遠いなぁ…稚内… 「はーるばる来たぜ 函館」と歌ったサブちゃん。 何で函館なんでしょ!確かに東京から見れば津軽海峡を越えてここまで来たんだー。 て言う感慨があるかもしれないけど「はーるばる来たぜ 稚内」と歌って欲しかった。 1年前、釧路に転勤が決まった時、「あーぁ、海外が遠くなる…、でも、確か稚内からフェリーでサハリンには行けるぞ」と簡単に思ったのに。 よーく考えたら、東京から函館、函館から稚内、函館から釧路。この3つは殆ど同じ距離! 北海道はでっかいどー! …で、釧路から稚内も550q。我が家のチンタラ運転では 途中1泊しないと無理。おまけに、稚内からサハリンに行くフェリーは朝出航。 だから、この木材置き場のような所にプレハブを建てたようなとても国際船乗り場とは思えない所に朝8時過ぎに来るまで、釧路を出てから丸2日経っていた。
集合時間の8時半になっても待合室には数人しかいなかった。 9時過ぎに漸く係りの人が来て出国審査が始まった。なんと、200人以上乗れるフェリーに乗るのは31人だけだった。 2等正解! たいがいランクアップを希望しない限りこのフェリーは2等が旅行会社のほうでセットされている。2等は往復3万円。5千円UPで1等和室、1万円UPで、ラウンジ椅子席になるのでUPしてみようかとちょっと思ったけど5時間半の船旅を椅子で座るよりはごろ寝できる方がいいからやめておいた。 2等の桟敷1区画に1グループづつ。2人で大の字に寝ても運動しても余るスペース確保。楽じゃ楽じゃ!! この東日本海フェリーの「アインス宗谷」は、実に日本船!だって、利尻島や青森から函館に渡るフェリーと作りが全く同じ。きれいだけど海外に行く雰囲気まるで無し。 乗組員も日本人だけだし、昼食は特製丸の内弁当。唯一海外なのは自動販売機のビールが 1本100円の免税価格。 この船は3年前から。ちょっと前の旅行記などを読むとロシア船で、船内の表示がわからないとかランチはボルシチなどと書かれているけど、そっちの方が異国情緒があってよかったなぁ…。パスポート持ってなければ、海外に行くという雰囲気はない。 でも、一番近い陸地で43qしか離れていないサハリンだけど「日本から一番近いヨーロッパの国」「船を降りたら日本語も英語も通じないブロンドヘヤーに青い目をした人が住んでいる街」なのだ。
2等桟敷席 特製弁当(ウーロン茶)付 |
コルサホフ(旧大泊)港着 ツーリストシアター(以下T社) が手配したユジノサハリンスクにあるインツーリストの日本語ガイドPAKUさんがそこに待っていた。コルサホフからユジノサハリンスク(旧豊原)までは車で40分。バスでも1時間ぐらいで行けるので本来なら自分たちで行きた所だけど、フェリー降場からバス乗り場が離れている上、両替所が閉まっている時間なので知人でも迎えに来ている人以外は、高く付いても送迎を頼まないと難しかった。ハバロフスクに行ったときも送迎は頼んだけど、日本語ガイド無しのドライバーだけだったので安かったけどこのサハリンは送迎がドライバー+ガイドのセットになっているということだった。
今回の旅行でT社を選んだのは、インターネット検索でサハリン旅行社のTOPにHPがあたり、その他の2,3社にもメールで見積もりを頼んだりしたけど、このT社は回答が速い上に、担当者がかなりサハリンについて詳しそうだったので。メールの返事は必ず翌日には戻ってきたし、ホテルは指定でき、日帰り旅行の相談にも乗ってもらった。価格も似たり寄ったりだったが、ここが一番安かったかも。 いつもは、電話でやり取りして支払いは直接旅行会社まで持って行ったけれど、今回はパソコンを通じてのやり取りだけだった。ちょっと不安はあったけど、この即返答メールで信頼感が生まれた。
3年前ロシアに行った時は、自分で六本木のロシア大使館に2度行きビザを取得したけど今回は無理なのですべてお任せ。ただ、驚いたのは通常ビザの実費は一人5000円だけど、1ヶ月以上前に取得すれば実費は1000円になるというシステムがあるらしい。予約が完了となった6月中旬時点でパスポートを郵送したらビザの取得代の金額が安くなっていた。3年前にもそんなシステムあったのかなぁ? ただ、滞在日程、滞在先など一切変更できないので、もうこれでOKと言う時だけに有効なようだ。
その日本語ガイドのPAKUさん、名前を聞いても顔を見てもすぐわかるとおり韓国朝鮮系ロシア人3世。韓国語はあまり出来ないようで、「韓国人の考え方と私たちの考え方は全く違います」と何回か言っていた。日本人相手だからかもしれないが。いや、もうすぐビザがおりたら日本へ留学して日本人の彼女と結婚したいと言っていたから、かなりの日本びいきかな? PAKUさんの日本語は、はじめは送迎ガイドレベル(つまり観光ガイドは無理)だと思ったけど、まあまあの線はいっていた。 私たちのほかに、もう一人同じT社で手配した東京の地方公務員Sさんが一緒だった。 このSさん、見た目はジャーナリスト。アフガニスタンにでも取材に行った帰りと言う雰囲気。 でも、はじめの一言でそのイメージは崩れ落ちた。 「いやぁ、助かった。いっしょですか。」「・・・・・」 日本語ガイドが迎えに来ているのだから何も困ることはないだろうけど(^^ゞ それに一緒と言っても、ホテルまでと、帰国日にまた港まで一緒するだけだけどね。 |
ホテルユーラシア このホテルは、ユジノサハリン駅に隣接しているので指定したホテル。 ホテルを選ぶ時の基準は、何をおいても場所。公共の交通機関を利用して自分たちで行動する為には駅から近い事が一番ありがたい。汽車に乗るにも、バスに乗るにもそれ以前に切符売り場を探して運行時間を確認して切符を手配して…と、準備の為に何度か足を運ぶ事になるので。 大手旅行会社はこの点、都合が悪い。なんせ、どれだけホテルの設備がいいかというグレードでランクを設定しているので、立地は関係なし。しかも、「・・・ホテルクラス」というだけで、出発1週間前にならないとどのホテルに泊まるのかわからない事さえある。観光付き、食事つきでフリーの時間がない上土産屋回り付きパックツアーならいいだろうけど、そんな束縛旅行頼まれてもしたくない。 ん?ただならもちろん行きますよ(^^ゞ
ユーラシアホテル正解! ガガーリン公園の近くにもよく日本人が泊まるホテルがあるけど遠い! まして最近出来た一番豪華な「サンタリゾートホテル」なんていうホテルは遠すぎてお目にかかることもなかった。ユーラシアホテルは、外から見たら「え!ここがホテル? このベニヤ板のドアが入り口?」 とちょっと思うけど、なかはきれいに改装されているし、お湯は24時間出る、冷蔵庫、NHK衛星放送も見られるテレビ付と申し分ない。ハバロフスク、ウラジオストックで私たちが泊まったホテルとは雲泥の差。もちろん、このファーストクラス級の部屋はそれだけの料金はしている。一人1泊1万円近くする。 日本の古いビジネスホテルクラスでこの価格は高いけど、ここはロシア。なんてたってロシアの海外旅行客向けホテルなのだからしょうがない。
フロントには結構若い女性が交代でいつも一人は座っていて、各階には誰もいない。つまり各階ごとに鍵を預かるロシア式ホテルではない。フロントの女性は、ちょっと英語を話せる人と全く話せない人がいる。セーフティBOXなんていうものは存在しない。ロシアでは、自分でパスポート、貴重品を持ち歩く事が原則となる。これは、ちょっといやな事…。落としたら、盗まれたら…、っていつもびくびくしながらの旅行となる。お金はもともと一人3万円ぐらいしか持っていってないけど、パスポートを落としたら多分どんなにあがいても、予定の船では帰れなくなるだろうな…。
きれいに撮ってるなぁ…プロは 私たちが撮ると…ホテルの隣はユジノサハリン駅&ホテルの部屋 |
え!両替出来ないの? ホテルにチェックインしたのが7時前。 まず両替しない事には夕食も食べに行けないのでPAKUさんに聞くと「今日はもう閉まってます」 「どこかホテルとかデパートとかで出来るのでは?」って聞いても、「今日は両替できないのです。」 の一点張り。 旅行記などでは殆ど日本語ガイドさんにお願いして公式ではない両替所に連れて行ってもらったりガイドさん自身に両替してもらったりしていたので、何とかなると思っていたのに…。まじめなガイドと言うか…融通が利かないと言うか…(^^ゞ。 その後PAKUさんが「会社に聞いたら、今日はホテルで夕食出来ます。ただで。」「ただで?」 ちょっとうれしくなる言葉。…のはずがなかった。「明日あなた払います」と。 あ…つけね…。「お二人は一緒に食べますか?」と私たちとSさんにPAKUさんが尋ねてきたら、 「あ、それ助かります。一人だとわからなくってねぇ…」とSさん。 「一人旅してるんでしょ!そんな事でどうするの?」なんて冷たいことは言わなかったけど、ちょっと…。そうこうしてるうちにまたPAKUさんが「今日このホテルのレストランは誕生日会の貸切です」と。 「はぁーーー?じゃぁ、どうするの?」「部屋に運びます」ルームサービスかぁ…。 それでなくても、ホテルのレストランは高いから食べたくないのに、部屋で食べるなんて…。 「だったら、今日はもういいです。そんなときの為にパンとか持ってきているので」とSさん。 私も、カップラーメンとかを稚内までは持ってきていたけど、海外ではどんなに現地食が口に合わなくても短期間だから日本食は原則として食べたくないので、あえて置いて来ていた。 …で、しょうがないから9時にペルミニ(餃子入りスープ)、ピロシキだけオーダー。
PAKUさんが「私は7時半までです。何かありますか?」と。 まだ時間があるようだった。何かありますか?って言われれば、そりゃ、いろいろと。 もちろん、コルサホフからの車の中の40分でいろいろ聞いておきたいことは済ませておいたけど、 じゃぁ、ついでにと「汽車の時刻表や切符売り場に一緒に行ってもらっていいですか?」と頼んだら、 それからが長かった。Sさんも「どこでキャビアを売ってますか」と。次から次へといろいろ質問されたのがどうやらPAKUさんうれしいらしい。「今までの日本人はあまり話しませんでした」と。日本語の勉強にもなったからかな? なんと、今思えば早足でユジノサハリンスク中心部を2時間かけて1周していた。そう、歩くのがすごく速い。さすが18歳から2年間軍隊で鍛えた事はある。 9時になって漸く暗くなりかけてきた。そう、極東ロシアの日が暮れるのは遅い=観光向き |