そ の 時 が 来 た。
シベリア鉄道に乗る。 この鉄道は、はるかモスクワから10、000Km近くも続いている。 その7分の1だけ、1泊、14時間の寝台列車の旅。 スムーズに時刻通りハバロフスク駅を発車。 乗ってしまえばもう心配要らない。
私たちの旅のパートナーはロシア人親子。 パートナーとは、つまり4人で一つのコンパートメントなので、2段ベットが、2つある狭い空間にこの4人で14時間を過ごす、という事だ。 どういう人と一緒になるか、楽しみでもあり、不安でもあった。 旅行記などに、 “怖そうな男の人3人と一緒で不安だったが、すごく優しくしてくれて楽しかった(20代、女性)” …いいなぁ! とか、 “初めは和気あいあいと一緒にウオッカを飲んでいたが、知らないうちに財布が無くなり、相手はもうどこかで降りていていた” …こわ〜!など、いろいろ載っている。
今回の私たちのパートナーは、メッチャ美人の20歳の大学生とそのお母さんだ。メッチャ美人と言えば、ロシアの若い女性は本当に 美人でスタイルがいい。 何人もの“モデル”よりも足が細く綺麗な女性を見掛けた。 帰りの飛行機で一緒だったおじさんも、 「ロシア料理はもういいけど、若い女性は本当に綺麗だねぇ」っと、何で料理と関係あるかわからないが、褒めていた。 そのせいだろうか? ロシアで会った日本人は殆ど男性ばかり。少人数のグループはすべて男性のみ。 あっ!でも、ロシア料理の店で、しっかり領収書をガイドさんにお願いしていたところを見ると、会社の費用かな? 名称“極東ロシアと日本の経済関係研修旅行”などだったりして…。
話を戻すと、20歳の彼女の名前は、カーチャ。お母さんは、オーリャ。 2人とも英語が話せない…。ロシア語辞書片手にお互い悪戦苦闘しながらわかった事。 *これから10日間、ウラジオストックに海水浴にいくところ。 *見送りに来ていた2人は、お父さんと、弟。彼らは、キャンプに行く予定。 *お父さんは、商社マン。お母さんは、会計士。彼女は、経済を勉強している。 など。
その他、やっぱり…。と思った事は、 私たちはハバロフスクからウラジオストックまで一人9、000円をB社に払ったのだが、彼女たちは、一人250ルーブル(1、250円)。 外国人料金と言う事だろう。 9、000円払った事を教えたら、目が点になっていた。
乗ってしばらくすると、車掌さんが、シーツ、枕カバーなどを持ってくる。 一人13ルーブル(65円)支払う。 トルコの列車でもそうだったので、驚かなかったが、“何故、列車代金に入れてしまわないのだろう”と思う。
彼女たちが、チャイ(砂糖入り紅茶)を頼んでいた。 綺麗なガラスのコップにシルバーのソーサ付き。 「いくら?」「1.5ルーブル」「え!一杯7.5円!!」
昨日、一生懸命日本から持ってきたティーバッグで水筒に紅茶作って持って来たのに… 夕食は、“食堂車で”と決めていた。 食堂車は、11時までやっているらしい。まだお腹の空かない私たちは、 「どうぞ、遠慮しないで、先に食べて下さい」 夕食を持参しているらしかった、2人に言うと、 「9時に駅に止まったら、買いに行きます」と。 なるほど、9時すぎに止まる駅では、停車時間が20分ぐらいあり、そこに近所の農家の人達が売りに来るのだ。
「面白そう! 私たちも外に出てみよう!」 ホームの端から端までズラーっと、食べ物を売っている光景に、2人とも外に出た。売っているものは、主に、ピロシキ、とうもろこし、 果物、ピクルスなど。 似たようなものが、並んでいる。 それぞれ皆、自家製という訳だ。 ハバロフスクで何回か食べたピロシキは、中はミンチが入っていたが、油で揚げていなかったのに、ここのは、 日本で見掛けるのと同じ、揚げてあるものだった。 美味しそうだったが、食堂車にいってみたい私たちは、ただの見物人でいた。
9時30過ぎに、私たちも夕食を食べに食堂車へ行った。 4、5両分は歩いただろうか? やっと到着。 数名の客はいた。しかし、テーブルの上に蠅が数匹遊んでいた…。 座るとすぐ、注文を取りに来たので、 「ボルシチ、ピロシキ、スープ」 「ニィエット」ぎゃいーん!! まさか、どれも無いなんて…。来るのが遅かったという事なのだろうか? しょうがないから、ロシア語料理辞書を渡して、出来るものを教えてもらう。 結果、“サーロインステーキと、串焼き”となった。 はぁ〜。 これがまた、かたい、まずい! サーロインステーキは、味無しハンバーグのような感じで、串焼きに至っては、どうやったらこんなに堅くなるんだろう? と思うぐらい堅い上に、肉がパサパサしている。 付け合わせにポテトやら訳のわからない野菜がどっさり…。 苦手じゃー。
日本から持って来た醤油をかけて頑張って半分食べた。 これにチャイ、コーラ、コーヒーで195ルーブル(975円)。 日本感覚だと安いが…。 “あーぁ! さっきの駅で売っていたピロシキなどの夕食だったら10ルーブルもしなかったのになぁー” でも、食堂車に行ってみたかったのだから満足だった。 ただ、もう行かない!
食堂車から戻る途中、「ジャパン? ウオッカ!」とロシア人女性が、一緒に飲まないかと声を掛けてきた。 何となくチョット怪しげだったので断ったが、後で彼女が、その車両の車掌だという事がわかった。 “え! 勤務中にウオッカ?” うーん?
でも、車掌という仕事は、徹夜だし大変な仕事だ。本当にロシアの女性はいろいろなところで活躍している。 路面電車の運転手も私たちが乗った限りみんな女性だったし。 男性は一体どこへ?
11時頃戻ってみると、もう彼女たちは寝る体勢に入っている。 どうやら、私たちを待っていたようだ。 急いで、顔を洗い、タンパンに履き替えたが、よく見ると、彼女たちはメイクも落とさず、ミニスカートのままだ。 そのまま寝るらしい。 うわぁ〜! いつもなら、寝る前は本を読む主人も、電気を灯けていては悪いと思い、就寝。なんと健全な旅だろう。 でも、同室の人にウオッカなどを勧められなくてよかった。 中国の寝台列車の中では、同室のカップルにぬるーいビールを勧められて困った思い出がある。
“ぬるい!”と言えば、冷たい飲み物にこうも敏感なのは、日本人だけだろうか?夏に限らず、 日本ではビールやジュースはビンビンに冷えているのが当たり前なのに、海外を旅行していると、 平気でぬるいジュースを出される事がよくある。 「アイス(氷)?」と飛行機などでは聞いてくるが、氷自体安全な物かどうか当てにならない場合もあるので、 「ノーアイス」って言うと、本当にぬるいだけのジュースなのだ。 ハバロフスクのロシア料理店で会った、日本人おじさん4人組も、ガイドさんに、 「日本ではね、このビールのジョッキ自体も冷たーくしている店もあるんだよ」 って言っていた。 よく冷えていないビールに音を上げているようだった。
温度感覚について言えば、ハバロフスクは一年通して寒い時期が多いのだから、 暑さには、弱そうなものなのに汽車の中で、 「暑いねぇー」と言ってみたら「いいえ」だって。 「えっ!」と思ったが本当のようだった。 暑いので、シーツだけにくるまっている私たちに対して、彼女たちは、しっかり、毛布を掛けて寝ていた。
“暑ければ、すぐにクーラー。” という生活にわたしたちが慣れ過ぎているのだろうか?
“ゴトン ゴトン”と静かな響きを轟かせながら、列車は順調にウラジオストックへ向かった。 あまり揺れもな無く静かだ。 日本の寝台列車に乗ると、10分置きぐらいには、小さな駅を通過するので、 踏切の“カンカンカンカン”という音などが聞こえるがここではそれも無い。
7時頃漸く辺りが白み始め、窓からぼんやり景色を眺めた。 そこは、ずーっと、草原地帯だった。時々川があるぐらいで、民家は殆ど見当たらない。果てしなく、広大な大地だ。 そのうち、みんな起きだした。 彼女たちは、朝食も持って来ていた。 私たちも、一杯10円もしないチャイを頼み、持っていたパンをかじる。 彼女たちが、ビンにたくさん入っている“すもも”を勧めてくれた。
「半分に割って、虫がいないかどうか確めてから、食べてね」 っと言われる。よく見たら、ビンのなかに赤い小さなミミズのような虫が一匹這っていた。 チョット身が引いたが、遠慮なく戴く。 そんなに甘くは無いが、フレッシュフルーツをロシアに来て以来食べて無かったので美味しかった。
「これ、私たちが作ったのよ」 なるほど、話しには聞いていたが、ロシアではダーチャと呼ばれる別荘で、夏に一年分の野菜や果物を作って、 ビン詰にすると言うのは本当だった。 彼女たちの家でも、野菜と果物は、すべて自家製だそうだ。 サラリーマン一家なのにいつ農作業やるのだろうかと思ったら、どうやら夏休みが1か月以上もあるようだ。 それに、このミミズを見ていたら、日本のように農薬を散布したり、間引いたりと手間隙掛けては作らないのだろう。 市場で見かけた桃なども、日本の半分ぐらいの大きさしか無かったし、野菜も形も大きさもバラバラだった。 でも、とっても新鮮そうだったが。
「パンは?」って尋ねたら、 笑って「買う!」と。
9時30分、予定より30分遅れで、ウラジオストックに到着。 彼女たちと別れた後、モスクワからの距離を表す記念碑の前で、“ハイ、ポーズ” よく眠れたし、楽しかった。 でも、1泊で充分。7泊8日も掛けてモスクワから旅をしてきた人には敬意を表したい。
|