戦 争 の つ め あ と

 “ベトナム”と言えば“戦争”という言葉が、イメージとして焼き付いている。

 もし、日本人に、「ベトナムという言葉の後に、漢字2文字を続けてください。」と尋ねたら、今でも、「戦争」と言う答えが、帰ってくるのではないだろうか? 

 

 ベトナム戦争がサイゴンの陥落と言う格好で終わって、20年。

 私が、小学校・中学校のときに、ニュースでベトナムが戦争をしていることは、よく聞いていた。しかし、何故、戦争しているのか、理解していなかった。

 反戦運動が、高まって、“ベ平連”と呼ばれる人々が、アメリカ軍の兵士を第3国へ逃避させていたことも知らなかった。

 私たちの、世界史の勉強は、第二次世界大戦終結と共に終わってしまった。その主な原因としてあげられるのは、“受験”だ。入試の範囲が、1945年8月15日までと言う感じだからだ。

 アメリカ人の中には、ベトナム戦争で肉親を失った人も多く、その人達が、“黄色人種は皆嫌”と言う事を、テレビの中で言っているのを聞いて、なんとなく、寂しさを覚えたことは記憶に有る。

 ベトナム人同志の争いが、“アメリカ”対“ソ連の影の力”と言う格好になり、一番苦しんだのは、一般のベトナム人だったのだ。

 

 “シン・カフエツアー”でガイドをしていた人も、兵士としてアメリカ軍と一緒に行動していたので、その時に英語を覚えたと言ったていた。

 もう一人の、年配ガイドは、戦争に参加していたのかどうかは、わからないが、彼の手の指も何本か、欠損していた。

 

 今、40〜50代の多くの男の人は、兵役を務めていたと思われる。

ホーチミンの街を歩いていても、片足のない人や、両足ともない人を多く見掛けた。 

街に出ている、障害者はほんの一部で、もっと重傷の人は、外に出られないだろう。

日本だったら、義足などを付けることができる人も、設備、技術者不足で無理だ。

 

 戦後50年と言う日本でも、いまだに、戦争の傷跡をそのまま心に引きづっている人もいるのだから、ベトナムの戦後はまだまだ続きそうだ。

 避けようもない、自然災害でさえ、大変なのに、人を殺し合う戦争なんて、絶対にしてはならない。しかし、今も、地球上の各地で、戦争は続いている。

 

 美 人が多い

 

 ベトナム旅行中、太った、ベトナム人女性を一度も見なかった。 

最近復活した、女子学生のアオザイ姿は、眩しいばかりだ。真っ白の上下を優雅に着ている。

さぞ洗濯が大変だろう。また、この暑さの中で、長袖だ。太陽の強い陽射しを避けるのには、長袖のほうが涼しいとよく言われるが、それは木綿のシャツの話しで、彼女らの着ているアオザイの多くは、ポリエステル製だ。

 

 普通の市場のおばさんなどは、パシャマのような、薄いブラウスとズボンの組み合わせが多い。“スカートを履いている人も最近は良く見掛けるようになった。”とガイドブックに書いてあったが、私の記憶では、殆ど無い。

 

 

 しかし、美人が多い。なぜか、我が家にある “アジア美女年鑑”などと言う本など、ホーチ                      ミンシティを1日カメラ提げて、ぶらぶらして いたら、出来てしまうのではないか、と思うほ                      どだ。

 

 

 

ベ ト ナ ム 収 支 報 告

  とは言っても、収入などある筈も無く、もっぱら“支払いのみ”。

 

 何と言っても高いのは、夏休みのお盆シーズンの飛行機代。ツアー代として、支払った金額の、何と90%以上を占める。

 つまり、飛行機代の安い時期に行けれさえすれば、このツアー代は、¥100,000.−を切る。それでも、同じ、インドシナ地区のバンコクなどに比べると、倍額だ。

 海外への飛行機代と言うのは、距離に比例するよりも、その需要と供給に比例すると言ってよい。もっと、ベトナムへの需要が増え、日本乗り入れ航空会社が増え、フライト数も増えれば、この飛行機代はどんどん安くなっていくだろう。

 

 食費は、毎晩レストランで、カニ料理などを食べていたのに安い。これは、朝食はホテル代に含まれているので、無料。昼食は、たいしたもの食べていない(ラーメン、フランスパンなど)からだ。

 

 以外に高いのが、関西国際空港からの出国税。(一人、¥2600.−)

成田(¥2,000.−)、羽田(国際線でも無料) なのに…。

 

ベ ト ナ ム ( ホ ー チ ミ ン ) 5 日 間 の 旅

 

ツアー代(羽田→ 関西国際空港、関西国際空港→ ホーチミンの飛行機代 、サイゴンホテル3泊、空港への送迎を含む )                ¥312,000.− (@¥156,000.−)

ベトナムビザ取得代                ¥20,000.− ( @¥10,000.−)

現地交通費代

2日間のツアー代、市内見物入場料 を含む ) ¥4,030.− ( @¥2,015.−)

食事代(飲み物代を含む )             ¥7,400.− ( @¥3,700.−)

おみやげ代・その他                  ¥8,120.− ( @¥4,060.−)

出入国税(日本、ベトナム )               ¥6,700.− ( @¥3,350.−)

日本国内交通費(モノレール、JRなど)         ¥3,400.− ( @¥1,700.−)

        合  計  ¥361,650,− (@¥180,825.−)                     

 

                 

 

あ と が き

 

 思い付いた事を、思い出した順に、そのまま入力していったので、趣旨一貫していない上に、“あとがき”もあったもんじゃないが…。

 

 私たちの“ベトナム 5日間の旅”最後まで、読んで下さった方。御苦労様でした。

飛ばし飛ばし、興味のありそうなページだけ読んで下さった方。それだけで、十分です。

 

 たった5日間の旅、それも正味3日間半。短すぎる旅かもしれないけれど、精一杯私たちなりに旅を謳歌してきました。

 

 “暑さ対策”なんて大袈裟に考えて行ったが、ホーチミンの8月は、4,5月ごろに比べれば、暑くないし、東京の猛暑よりもましでした。 

 全食事付き・観光付きのツアーと比べても、そんなに変わらない個人旅行のツアー代。

“何も、苦労して自分たちで、動き回らなくても”と思われるかも知れませんが、自分たちで、苦労して、動き回るからこそ分かることも多いのです。

 いまなら、ホーチミンの中心部は、地図なしで、観光案内できます。(きゃぁ〜えらそ−に)

   何より、元気に動き回れた、自分たちの健康に感謝して、

 

 

  今回旅行するにあたって、読んだ本、ガイドBOOKなど。

  (アジア文庫へ毎週のように行く主人のお陰で我家には、アジア関係の本が一杯!)

 

「地球の歩き方 94-95 」「地球の歩き方 95-96」「地球の歩き方 フロンティア」

「HANAKO NO.339」「ABロード 6月号」「ベトナムへ行こう」「ベトナムロード」

「サイゴン日本語学校始末記」「ヴェトナム ディープウオッチ」「サイゴンから来た妻と娘」「ベトナム難民の10年」「PASSPORT−東京海外旅行研究会1718周年記念特別号 」

「ぶらりベトナム」「ベトナム戦争」「その他、蔵前仁一さんの旅行記」 など

 

       − S e e   y o u   a g a i n−

                                             1995年8月

 

 

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