と う と う 帰 国
夜9時、サイゴンホテルのロビーで、あのガイドの“ハイさん”と待ち合わせ。 私たちは、9時3分前にレストランから戻り、ギリギリセーフ。 ハイさんと初日ここで別れた“DIPツアーの青年”も、ちょうど、到着したところのようだった。 「ご無事だったようですねぇ」と私が、その青年に言うと、 「いゃあ、いろいろありましたよ」と。 ちょっと、言いたそうな、それで言いにくそうな、そんな感じだった。 空港に行く途中の会話での、その青年の経験談でさえ、驚きだったのだが…。 その後、彼が、私の前では、どうも話しづらかったと思われることを、空港で、主人が聞いたところによると…。 恐 ろ し い 夜 そ の 1 どこかの通りを歩いていたら、オートバイに乗った女性に誘われホテルへ。 入り口で、ホテル代20ドル(あとでシクロの人に尋ねたら、普通は10ドルだと言われたそうだ)を払って、部屋に入ると…。 XXXXXギョエ! 何と、その女性は、“男性”だったのだそうだ。 −カマ・カマ・カマ・カマ・カマ・カマ・カマ・カマ そう、 “ オ カ マ ち ゃ ん ”驚いた彼は、必死で逃げたとのこと。 ハッハッハ。 恐 ろ し い 夜 そ の 2 シクロのおじさんにしつこく(本当かなぁ)誘われて、どこかのスナック(本当にスナック?) で降り、階段を下りて、店に入ろうとしたところ、いきなり、店が真っ暗になり、そこに沢山の“警察官”が、来て、交番に連れられて行った。(どひゃぁ〜!) そこには、手錠をされた人もいる中、牢屋に入れられ…。 (ひぇ〜) 驚きと、怖さで、何もしゃべれず“じっと”していると、そこに、日本語をしゃべれるベトナム人と、日本人が来て、彼に“20ドル、払うよう”言った。そして、釈放。 ベトナムで牢屋に入れるなんて、何てラッキー!てなわけがない。 これはもう、警察官が単に張り込んでいたと言うよりも、シクロ、店、警察官がグルでやってるとしか思えない。日本語をしゃべれるベトナム人も、もちろんそうだろう。でも、一緒にやって来た日本人は一体何なんだろう。20ドルを払わせる為に、わざわざやって来るとも思えないし。 何かの雑誌の記事で、“ベトナムへ来た視察旅行と称する外国の企業団が、“買春ツアー”と化し、警察に連行されたのだが、その話を、公にしないことを条件に600万円を払った。”と言うのを読んだことがある。 ベトナムの警察官は、取締りでの罰金などは、すべてポケットに入れてしまうのが、常識らしい。おこずかい稼ぎの交通取締も多い。“目”に留まってしまうと、もうおしまい。 20ドルで、帰してもらえたのは、“彼”が見るからに、おとなしく、気が弱そうな、若い青年だったためかも知れない。
しかし、普通、 “ そ の 1 ” を経験したら、もうあとの夜は、ホテルの部屋でじっとしていないのかなぁ。 すっごーく、真面目で、人の良さそうな青年なのだが…。 旅行会社の車の中で、「もう、ドルが殆どないんですよー」と言っていたが、はたして、彼は、何に、いくらぐらい使ったのだろうか? そう言えば、シン・カフェのツアーバスに乗って、出発を待っている時、シクロのおじさんが 「トゥナイト アゲイン ゴー」と日本人の青年に言っていたが、う〜ん、想像できるなぁ。 その人の良さそうな青年の話を聞いていた時、 “ハイさん”が、思 い出したように、「どこか行きましたか?」 そりゃあ、“どこにもいか ないはずはない。”何て、意地悪なことは言わない。 「ええ、カオダイ教、クチトンネル、ミトーなどに」 などと答える。 せっかく話しかけてきたので、ちょっとだけ、 「ハイさん、市内のあちらこちらに、ホーチミンさんの肖像と共に、何か書いてありますが、 どういう意味ですか?50と言う数字が入っているのが多いので、第 二次世界大戦、終戦50年という事が、ベトナムでも重要な意味がある のですか」と聞くと、「終戦から20年です」っと。こりゃぁ、やっぱり聞くだけ、無駄だった。 “ベトナム戦争終結から20年と言う事ぐらい、知ってるわい” その後、「むずかしいです」と言った。多分、日本語で、何か説明したかったのかもしれないが、どうもその前に、ギブアップしたようだ。 (オイオイ、頑張っておくれ) 日本人観光客が、急に増えて、日本語ガイドの養成が間に合わないのかもしれない。 “ハイさんとは、空港の入口でお別れ。 ”ガイドは中に入れないそうだ。チェックインまで、してもらえると、オーバーブッキングなどのときに役立つのに…と思いつつ、 「もし、無事に飛行機に乗れなかったら電話しますからね!」と言ってバイバイ。 |
不 思 議 な 税 関
無事チェックインも終り、横を見ると、日本人が列を成して並んでいる。 “イミグレ(出入国審査のこと)にしては、場所が違うようだし、何にそんなに時間が掛かっているのだろう”と思っていると、そこは、単に税関で、入国した時に戻してもらった、“税関申告書”の片割れを提出するだけの場所だ。 普通の旅行客は、ベトナムで、税金のかかるようなものを買っているはずもなく、すぐに提出したあと立ち去るはずなのに、なかなか列が進まない。皆、一言二言、言われている。 入国するときなら、記入漏れなどで、指摘されてもおかしくないのだが、2枚の用紙は、複写式だったので、出国の時には、申告するものさえなければ、特に記入する所もないと思っていた。 見覚えのある、男性2人が、何か言われて、受け付けてもらえないでいた。その2人が、どこかへ言った後、また私たちの前のおじさんが、何か言われている。税関職員が、用紙の上を指差しながら、スタンプがどうとか言っているのが聞こえた。 しかし、そのおじさん、全く英語が分からないらしく、らちが明かない。終わりそうにないので、どうかしたのか、おじさんの所に近づこうとしたとき、 「 お ー い 、 助 け と く れ ゃ 、 何 言 わ れ て ん の か 、 さ っ ぱ り わ か ら へ ん 」 とそのおじさんは、先に税関を通った、友達と思える男性に、大声で、助けを求めた。ここでも、関西弁。いやぁ−、日本からの直行便が関西空港発だけあって、ベトナム旅行客の半分以上は、関西人と思えるぐらい、関西弁の人が多い。 と、どうだろう、その税関職員、“もういい、行け”と言うような合図をしている。 そのおじさんは、訳が分からないまま、ほっとしたような表情で、友達のほうに走っていった。 私たちも、その時は、なぜか分からなかった。 私たちの順番にやっとなった。「サイン」とぶすっとした表情でその税関職員が言った。 そうか、2枚目にもサインする場所があったのを忘れていた。急いで、サインをして、無事通加。「サインを忘れる人が多いから、時間がかかっていたんだねぇ」などと、自分たちのことは棚に上げて、しゃべっていた。 |
魔 の イ ミ グ レ ー シ ョ ン
入国した時と、同様、出国検査にも時間がかかった。 “何をそんなに調べているのだろう”と思うぐらいだ。しかし、自分のパスポートを見られているときは、いつでも、なんとなく緊張する。もちろん、ブラックリストに載っているわけもなく、有効期限やビザもしっかりOKなのだが…。 無事、出国審査も終わり、その先にある免税店を見たりしていた。その時、私たちの出国審査をやった、審査官が、主人のところへきて、 「 パ ス ポ ー ト を 見 せ ろ 」と言う。 「私もですか?」と尋ねると、「NO.」 主人のパスポートを受け取ると、スタスタ出国審査のブースの方に歩いていってしまう。 私たちも、その後を追った。 もちろん、頭は、パニック。何故だか、見当も付かないし…。 変なことだが、この数秒間の私の頭の中に、浮かんだことを鮮明に覚えている。 主人の名前は“宮本 晃”。過去、私が記憶にあるだけでも、漢字こそ違うが、同姓同名の人が、ニュースになる事件に関わっていたことがある。 確か、大韓航空機爆破事件の時、北朝鮮の工作員と韓国で言われている人が、服毒自殺をしたとき、持っていた日本人パスポートの名前が、“みやもと あきら”だった。その頃テレビでは、よくこの名前が放送され、その度に“えっ”と思った。 最近では、関西の高校教師が、体罰を加えた結果、女生徒が、倒れた時に、頭を打って、死なせてしまった事件。あの教師の名前も“みやもと あきら”。 とっても頭のいい、チンパンジーの名前も“あきらくん”−これは関係ないか! “AKIRA MIYAMOTO”の名前が、何か引っ掛かったのでは?そんな筈もないのに、そんな事が、頭をよぎっていた。
出国審査のブースに戻ったその審査員が何をしていたのかは見ていなかった。と言うのは、出国審査のブースの前には、まだ出国審査を待つ日本人が、長い列を成していて、なんとなく、悪いことをして捕まったように思われるのではないかと、そばに行くことをためらっていた。 ただ、ブースの一番前で待っていた(待たされていた)人が、あの税関審査ではねられていた人だと言うことは見ていた。 そして、その審査官は、何ごともなかったかのように、 「 O K 」と言った。 私たちも、“OK”と言う一言に、“ホッ”とした。 の だ が … 。
「 金 、 と ら れ た ! 」 「 ウ ッ ソ ー 」 何と、主人が、パスポートケースに入れていた、“ドル紙幣”が抜き取られていたのだ。 “ や ら れ た ー ”と言う思いと同時に、 「 い く ら ? 」 「 そ っ ち が 入 れ と い た ん だ ろ ぅ 」 「 覚 え て な い わ よ ぉ 〜 」 「 2 0 ド ル 札 が 入 っ て い た よ う な 」 変な会話とお思いでしょう。でも、そうなのです。確かに、主人のパスポートカバーにお金を入れたのは、この私。 海外に行く時、もし、荷物を紛失したり、盗まれても、被害が少ないように、そして、そのあと、どうにかなるように、荷物のあちこちに分散させる癖があるのです。貴重品入れにはもちろん、手荷物、スーツケースにもあらゆる可能性を考えて…。 パスポートケースに入れておくのは、一番最後まで、ホテルのセーフティボックスに預けておくので、出国税分ぐらいは、少なくともいれていた。 これが、いいような、悪いような。余りにも分散し過ぎて、自分でさえ、どこにいれたか(隠したか)分からなくなってしまう。場合によっては、次の旅行のとき、 「あれっ、こんな所に1万円札が入っている」と言う事も。」 でも、私は、いつもパスポートを見せるとき、ケースから出して、パスポートだけを見せているのだが…。主人の癖は、重要なものは全部一か所にまとめて、必要でない、飛行機の帰りのチケットまでも、パスポートと一緒に出してしまう。 「今は、それ要らないよ、落としたら大変だよ」とよく、横から私が口を出す。 私も、まさか審査官が、盗むなんて、考えたこともなかった。たぶん、この考えは、大きな誤りだ。今まで、インド・中国・そのほか東南アジアはかなりの国に行っているのに、災害に鈍感になり過ぎていた。(上海で知らないうちにカバンをナイフか何かで切られていたことはあったが) 審査官を日本で警察官を見るような目で見ていた。その警察官ですら、いや、警察官こそ、海外では、注意しなければいけないと言う事は、2人とも本では、山ほど読んでいたはずなのだが…。今までが、何事もなさ過ぎたのかも知れない。 今回、パスポートケースに日本でドル紙幣を入れたのは、私だが、金額は覚えていないし、ベトナムの出国税は2人分16ドルを私が払ったので、主人のパスポートケースには、たぶんそのままいくらか入っていたと思われた。 主人も、パスポートケースを何度か見ていたので、ドルが入っていたことは、覚えていても、何ドル札かは、記憶に無い。これが、日本円なら、お札の大きさや、色でなんとなく、記憶に残るのだろうが、ドル紙幣は、全く大きさも、色も同じだ。 よく、レストランで、チップを入れた分支払うつもりで、「お釣りはどうぞ」と言った後、ウェイターがとっても嬉しそうな顔をすると、思わず、“ドル紙幣の種類を間違えて渡したのではないか”と不安になることがある。 だが今回ベトナムで高額紙幣を使うことは、無いと思い、最高額のドル紙幣は、20ドル。 だから、そんなに多額のドルを入れておいたのではないが、何枚入れておいたかが問題だ。 私たちの予想は、20〜30ドル。 しかし、入っていたと言う証拠もない。すぐにでも、審査官のところへ聞きに行きたかったが、証拠もないし、本当に盗んでいたら、言うはずがない。知らん振りされるだろうし、それよりももっと怖いのは、 “ 名 誉 毀 損 ”か何かで、どこかへ連れて行かれるかもしれない。 この間、多分5分〜10分ぐらいだったと思が、頭にきて、 イ ラ イ ラ ! 椅子に座っても2人とも、興奮が治まらない。 その時、少し離れた椅子に、審査官が主人を呼びにきて、パスポートをもう一度見ていたとき、待たされていた2人がいた。そこで、もしかしたら、何か知っているかもしれないと思い、 「すみません。さっき、主人に XXXXXX ということがあったのですが、何かご存じないですか?」 「いやぁー。ただ、黙って、急に席を離れていなくなったので、またいきなり“CLOSED”かと思って待たされただけですが」と言われ、続けて「数千円ぐらいだったら、もう諦めた方がいいですよ。僕らも、さっき、税関で、“申告書にスタンプがない”って言われて、通して貰えなかったので、いくら言っても無駄だと思い10ドル渡して、通してもらったばかりだし」と。 そうだったのか…。入国する際に、スタンプを押さないで、渡しているのもあるのではないだろうか。いちいちスタンプなど押さない国が多いし、税関を通らなければ、空港の外へ出られないのに、スタンプが押してないのなら、そっちが押し忘れたのだと主張したいが。 確かに、私の申告書にはスタンプが押してあった。何を言っても通らないことをこの2人はよく知っていて、ワイロを渡したのだ。 「10ドルと言われたのですか?」「いや、この手のは、10ドルが相場かなと思って」と。 その時思い出した。私たちの前にいたおじさんも、スタンプが押されてないことを言われていたのだ。でも、おじさんは、全く英語を理解できず、大声で、助けを求めたため、諦めたのだろう。なまじっか、海外慣れしていて、少しだけ英語が分かるが、反論するほどはできない、という旅行客が狙われているのかもしれない。 そのうえ、こんな話もしてくれた。 彼等は、“ミトー”に運転手付きのバイクで行ったそうだ。4ドルと格安だったらしい。 途中で、運転手が「この道を行くと、警察官がいるから、違う道を行こう。遠回りになるが、 11ドルのところ10ドルでいい」と言ったらしい。 もちろん、納得できず、「このまま、この道を行ってくれ」と言って、そのままいくと、本当に、警察官がいて、呼び止められ20ドル支払わされたと言うのだ。 何が、違反なのか、よく分からなかったが、たぶん、ホーチミン市内でもよく見掛ける3人乗りが、違反なのだろう。どういう状況だったかは、よく聞きそびれたが、“とにかく納得のいかないことでも、お金で解決できることはそうしたほうが、いい”と言う事を言っていた。
今、このアドバイスを受けたら、たぶん、“何でも、お金で解決しようとする日本人が多いから、いつまでも、カモにされるのだし、ワイロを支払うことで、逆に“収賄罪”で逮捕されたら、どうするのですか”と言いたいところだが、その時は、“被害にあっているのは、私たちだけではない”と言う変な安心感を感じた。 そこで、私は、これ以上事を大きくしても、こちらに証拠がない以上不利なので、このまま諦めようと言う気分になっていた。 の だ が … 。 そんな事は知らずに、タバコを吸って待っていた主人は、イライラがつのっていたらしく、私が、その彼等の話をしても、興奮が治まらず、(いつも、怒ると言う事と無縁なのに) 「 一 言 、 文 句 言 っ て く る 」と。 “それなら”っと、最初から一言、言ってやりたかった私も一緒になって、審査官のところへツカツカと歩み寄り、 「 バ ッ ク マ イ マ ネ ー 」と、かなり大きな興奮した声で、言った。 本当は“ギブバック”と言うべきなのだろうが、“戻せ”=“バック”で分かるはずだ、ととっさに思った。 (僕は、ギブ ミー バック マイ マネーと言った…。−主人談)本当? いやぁ、よく言ったもんだ! たぶん、無視されるか、怒られると思っていたのだが…。 次の審査官の行動は、予期せぬ事だった。そう、いきなりピストルで…なんて、うっそ!
机の下から、 2 0 ド ル 札 を 出 し て き た ん で す 。 彼は、その20ドル札を手にしながら、何か言っていた。しかし、 “ や っ ぱ り ” とそれを見た途端、今まで以上に興奮した、私たちには、彼の英語かベトナム語か知らないが、 口ごもった声は、まったく覚えていない。 たぶん、彼は、“おまえが、パスポート(ケース)にお金をはさんでいるから、てっきり、何か違反していることがあるところを見逃してくれと言う、ワイロだと思ったよ”とでも言ったかもしれない。そういう例も当然ある事が、容易に想像できる。 しかし、彼は、主人が、出国審査を終わってから、5分以上も経ってから、追いかけてきたのだから、しっかり、主人の特徴を覚えておいて、狙っていたとしか思えない。 その20ドル札をどうやって、主人が手にしたかは、覚えていない。奪い取るわけはないだろうが、ずっと怒った顔の彼が、“はいっ”と渡したとも思えない。 その後、私たちは彼に、 「 W H Y ? 」と何度も言っていた。 本当は、“なぜ、盗んだんだ!”と言いたかったのだろうが、ブロークン英語の私たち、興奮して、「Why?」としか、言葉が出てこなかった。 彼は、段々バツの悪そうな声になり、小さな声で、「ソーリー、ソーリー」と言ったのが聞こえた。しかし、平然と、次の業務を続けていた。 隣の、審査官が、「どうしたのか?」と聞いてきたので、「彼が、パスポートケースの中にいれておいた、この20ドル札を盗んだのだ」と言ったが、その審査官、驚くどころか、“ふ〜ん”と言った顔をしただけで、自分のブースに戻ってしまった。 まるで“失敗したんだな”と言う感じだ。 その時だった。人前で、目立つことが、きらいで、パスポートを持っていかれたときも、他の日本人の手前、何となく恥ずかしく、離れていた主人が、
「 こ の 人 、 気 を 付 け た 方 が い い で す よ ! 金 と る か ら 」 と大声で、審査台の後ろに並んでいた日本人に向って叫んだのだ。 い や ぁ ー 、 驚 い た 。お金が、戻ってきたのもそうだが、主人のこのひとこえにも。 それからの私たちは、さっきのワイロで逃れてきた“彼等”に報告したり、あのサイゴンホテルで一緒だった“青年”と、「本当にいろいろあるねぇ」なんて話し、興奮冷めやらぬうちに、ベトナムを離陸した。 しかし、取られた金額が、20ドルだけだったかは、その時は分からなかったが、やっぱり、私たちの勘違いなんかではなく、本当に取られていたのだと言う事が、分かったことが大きかった。その後、家に帰ってから、残りのドルと、使った額を計算した結果、取られたのは、20ドルだけだったという事が分かった。 ス リ ル の あ る ラ ス ト シ ー ン だ っ た 。 一歩違っていたら、20ドルどころか、飛行機に乗せてもらうために、何百ドルも要求されたかもしれない。その事を思うと、ゾットするが、その勇気ある行動を、納得している。 “ワイロ”を要求したりするのも悪いが、それは、差し出すほうも、納得とまでは行かなくても、諦めて渡すのだが、今回の審査官の行動は、明らかに “ ド ロ ボ ウ ”だ あの審査官が、これで懲りるとは思えないが、“反論してくる日本人もいるんだなぁ”と言うぐらいは、気に掛けて、慎んでくれることを期待したい。 “出国審査”のときには抜き取らず、後で追いかけてきて取ったと言うのは、その方がバレる可能性が、今まで少なかったのだろうか?と言う疑問は残ったが…。 私たちにも、反省すべき点はある。日本人には、たかが20ドルかもしれないが、彼等ベトナム人にとっては、物凄い金額だ。ある本によると、ベトナムの公務員の月給は、20ドル〜30ドルと低く、これが、 “ ワ イ ロ ”を要求したりする公務員の腐敗の原因になっているそうだ。 その1ケ月分の給料が目の前にあったら、そして、その金額が、日本人にとって、取り返しにくるほどの高額ではないことを知っていたら、欲しくなったのも無理もないかもしれない。 主人が、今度海外に行く時は、パスポートだけしか、出入国審査官には渡さないことだけは、確かだ。 この帰国時のことがなければ、ベトナムの印象が“のんびりとした公務員”“親切なベトナム人” “活気に満ちたホーチミン”“のどかな田園”だったかもしれないが、ここに、公務員の腐敗を付け加えることになってしまった。
今回、シクロ(人力自転車)を利用しなかったため一般のベトナム人と接することが少なかった。しかし、やはりベトナム人の生活を知りたかったら、ベトナム語を話せないと分からないだろう。せめて、英語がもっと話せたらとは言うまでもない。 |