ミ ト ー 、 メ コ ン 川 ク ル ー ズ 1 日 ツ ア ー
最終日、シン・カフェの“ミトー、メコン川クルーズ1日ツアー”に参加。 ただ、最終日に1日ツアーをもってくるのには、いささかの不安があった。 というのも、最終日は、夜9時までフリー時間があるわけだが、もし万一、バスが故障したり、交通事故か何かで、道路が通行止めなどになって、戻ってこれなかったら、それこそ大変だからだ。 万一、ではなく百一、そう1%ぐらいは、その様なことになってもおかしくない。 というのも、交通ルールがちゃんとしていないのか、車線がないためか、衝突事故が多い。 クチトンネルに行く途中にも2,3台今、ぶっかったばかりというような車を見かけたし、バスが急に止まったと思ったら、“やしの木”を切り倒していたり…。 しかし、ホテルもお昼までしか部屋を使えないので、最終日に“市内見学”をもってくると、時間が在りすぎて、休む場所もなく余計に疲れそうだったので、結局、ミトーツアーに出掛けることとした。ただ、ツアーを申し込むとき、 「明日の夜の飛行機で日本に帰るのだけれど大丈夫ですよねぇ」と一応聞いておいた。 戻る予定時刻は、6時30分になっているので、多少遅れても大丈夫ではあった。 まぁ、もし何かあっても、たぶん何の保証もないことは、感じていたが。 この“ミトー、メコンデルタ1日ツアー”は、シン・カフェと他の会社の同じ名前のツアーでは、内容が違うことが、ガイドブックにも少し、書いてはあったが、実際行ってみた結果、行き先も内容もだいぶ違うと思われた。 一般的に、日本から団体旅行で来ている人達が行く1日ツアーは、まずバスでミトーまで行き、そこから小型のボートでメコン川をクルーズしながら“タイソン島”という島に上陸し、そこで果樹園を見学して、フルーツを食べると言うものだ。 しかし、シン・カフェの方はと言うと、バスでミトーまで行くのは一緒だが、そこから、フェリーでベントレーと言うところへ渡り、その後小型ボートに乗って、狭い水路を人々の生活を垣間見ながら遡った後、フーン島に上陸。 そこでは、ヤシ教団の寺跡?を見学し、またボートに乗って、今度は、ココナッツキャンディの工場を訪ねたりと、なかなかバラエティーだ。 朝8時30分に集合。バス1台で出発。40人ぐらいのツアー客の中に、日本人と思われる人が、5〜6人。ガイドは、2人。最初に自己紹介した若いガイドはきれいな英語を話していたのだが…。もう一人の年配ガイドが、この後のすべての説明をした。 この世界も、年功序列なのだろう。ずっと英語が上手な若いガイドにはマイクを一切持たせず、かなり癖のある英語を話すその年輩ガイドは 「イクスキューズーミー、レディース アンド ジェントルマン」 といつも同じ出だしで、張り切っていた。かなり癖のある英語と言うか、私たちには、よくわからなかったのだが、その後、イギリス人も“よくわからない”と言っていたので、安心した。 まぁどうせ、流暢な英語であったら、もっと、難しすぎてわからないとは思うが。 ツアーの参加者には、どうやらフランス語を母国語とする人が多いらしく、あちこちで、お互いにフランス語圏から来た者同志だとわかった人達が、盛上がっていた。 フランスの統治時代もあったのだから、フランス人の観光客も多い。フランスパンとコーヒーがおいしいのはいいことだが、やはり、フランス人はプライドが高いとしか思えない。 バスの中で“うるさい”程盛り上がり、かなり癖のある英語を話すその年輩ガイドが必死で説明していても聞いていなかったが、 “英語わからないからかなぁー”と思っていたが…。 彼ら、彼女らは、英語をわかっていてもしゃべらないのだった。 何か質問したい時や頼みたい時は、しょうがないから、英語をしゃべるが、返事は、「メルシー」 イギリス人で、現在香港で弁護士をしているという旅行者に、ミトーからのフェリーの中で聞いた話しによると、彼は、ハノイからフエまで、1泊2日の列車の旅を楽しんだ?そうだ。 この列車によるベトナム縦断というのは、とても興味があったので、いろいろ尋ねると、ベトナムの田舎は、夜は本当に真っ暗なので、月の明りだけが、辺り一面を照らすのだが、それがとても美しかったのとの事。 本当は、ホーチミンまで、もう1泊する予定だったが、疲れたので、途中のフエで降りて、そこからは飛行機で来たらしい。 「月明りの中を走る夜汽車かぁ〜。ロマンチックだなぁ」と思ったが、 「とても良かったよ。だけど、もういいけどね」と言うひとことを聞いて、結構大変な旅だということを推測した。 あと2年後に、香港が中国に返還されることをどう思うか尋ねたら、 「僕は、どんどん資産を、海外へ送金しているし、何時でも海外へ行くことが自由にできるから、余り心配していないが、香港人?は、自分の土地や財産のことなど不安らしいよ」とのこと。 香港と中国。政治体制も物価も違いすぎる。どうなるのだろうか? ベトナム戦争後、チョロンにいた多くの中国系ベトナム人が、財産を没収された。 自分の住んでいる家や財産を戦争で無くしたり、略奪された人がこの世の中にたくさんいるのだろうなんて、考えたりしていた。 バ ス → フ ェ リ ー → ボ ー ト フェリーの中、観光客らしい人は、シン・カフェツアーの人達だけだ。 バスや車も乗っている。ホーチミン市内でも見かけた“チューインガム売りの少年”がこのフェリーにも乗っている。 フェリーにお金を払って乗っているとは思えないので、許可されているのだろう。 小学校低学年の少年が、けなげに働くのを見ると、なんだかかわいそうにも思うが、同時に、それが、この子達の生活なのであり、その“仕事”振りには力強ささえ、感じられる。 ガイドから渡された、フェリーの乗車券を見ると、“600ドン”と印刷されている。 日本円で6円もしないのに、フェリーには、30分近く乗った。その安さに驚いたが、それだけこのフェリーが、観光のためではなく、生活に必要な、交通手段と言うことだろう。 フェリーを降りてすぐ、今度は、小型船に8人づつぐらい分かれて乗る。 私たちが乗った舟は、偶然か、殆どフランス人ばかりだった。舟の一番後ろに、ベトナム人の女性が乗り、舟をあやつっていた。 狭い、水路に入っていくと、そこに住んでいる子供達が、手を振ってくる。私たちも、手を振りかえす。こんな事が、毎日ここで繰り返されているのだろう。 川で、洗濯をし、体を洗い、泳いで遊ぶ。色こそ、茶色をしているが、それはけっして、ドブのような匂いを発することもなく、生きた川なのだ。 どこかの島で、昼食の時間を取るとガイドはバスの中で言ってい たが、時計を見ると、1時を過ぎている。どうりで御腹が空いたは ずだ。私たちは、朝、渡された“フランスパン・バナナ・チーズ” をその舟の中で食べた。 これが、とてもおいしい。“少し黄緑色のバナナ”がとても甘い。 色からすると、甘くないのでは、と思っていたので、そのおいしさ に“ビックリ” いかに、日本で、私たちが食べているバナナが、熟さないまま、 船で運ばれているかが、よくわかる。ベトナムにいる間で、一番お いしい、食事だったかもしれない。 上陸したフーン島で、しばし休憩。サービスに出された果物を食 べたり、ハンモックで楽しそうに遊ぶ子供達を眺めたり、とっても、のんびりしたツアーだ。 “ここでは、何分ぐらい休憩するのだろう”なんて、時計を気にしていたのは、日本人だけかも知れない。 ベトナムに来ても、カフェでコーヒーを飲みながら本を読んでいる西洋人が多い。「ハウ マッチ」と必死で言っている、日本人とは大違い。 ファクトリーと言うより、家内生産のようなココナッツキャンディーの制作現場を見たり、お茶を御馳走になったり、と盛りだくさん。 それでいて、点呼もなければ、集合時間を言うでも無し。 帰りのフェリーの中で、はじめて若いほうのガイドが、人数を数えている。大勢の乗客の中で、どうやって、ちゃんと数えられるのかも不思議だが、もし、ここで人数が足りなかったらどうするのだろうと思う。同じツアー客も、自分達を数えられながら、笑っている。 帰路には夕立のような、凄い雨に遭ったが、そんなに遅れることもなく、無事到着。“ホッ”イギリス人に「飛行機に乗れるね」なんて言われる。冗談っぽく言う彼と「HAVE A NICE TRIP!」と言って別れた。 なかなか、充実した1日ツアーだった。 バス、フェリー、ボート、昼食、全部含まれていて、何と 8 ド ル。 現地旅行会社のオプショナルツアーは、100ドルぐらい。すごい違いだ。日本人ガイドがいなくたって特に不便な事はない。いろんな、国籍の人と一緒のこの“シン・カフェツアー”とっても気に入ってしまった。 シン・カフェでもらった、ツアータリフには、様々なツアーがあり、1泊2日のツアーが何と,20ドル。宿泊代込みの値段。10泊11日の旅が、たったの160ドル。もちろん、安宿だろうが、こんなに安く、旅ができるなんて。西洋人は結構参加しているようだ。長期の休暇が取れるからだろう。ただこのツアー、強靭な体力が要されると想像できるが。 |
ひ と り 旅 の 若 者
このシン・カフェーツアーでは、何人かのひとり旅の青年と一緒になった。一部紹介! ・ ゼ ネ コ ン に 勤 め て い る と い う 青 年 カンボジアから空路でホーチミンへ。“アンコールワットも結構日本人いましたよ”と。 これからフエ、ハノイに行き、マレーシアで、会社の同僚と会う予定。“無事会えたかなぁ” ・ 大 学 3 年 生 の 青 年 5週間の旅。ハノイから汽車でホーチミンへ。1等寝台が取れず、2等の“硬臥”と呼ばれるハードベットの寝台で。「本当に、板だけで、むっちゃしんどかったですわ」っと。 ・ お 盆 休 み だ け の 青 年 私たちと行きも帰りも、同じ飛行機。ファオングーラオ通りの1泊12ドルのエアコンなし、水シャワーのホテルに2泊したあと、何と1泊200ドルもする“ニューワールドホテル” で1泊。 「なんか、異様なぐらいで〜んと建っているんで、どんなとこか、泊まりたくなったんですわ」と。 おもしろ〜い!。 確かに、あのホテルは、目立っていた。超近代的な建物がいきなり、出来たので、そこを見物に走り回るバイクも多い。畑の度真ん中に、サンシャインビルが建つよりも、その驚きは大きかった事だろう。 皆、脇見運転しているから、ホテルの前を渡るときは、かなり注意しなければならない。 それでなくても、横断歩道も、信号もない道路ばかりなのだから、渡るときは、道の途中まで行き、また渡れそうな頃合を見計らわなくてはいけない。初めは、なかなか怖くて渡れなかった。 若い頃の旅は、何事にも変えられない、人との出会い、経験をすることができるだろう。 ただ、皆 共 通 す る こ とがあった。 ・こちらが、2人のせいか、向こうから話しかけてくることは少ない。 ・ しかし、「ベトナムはもう、長いのですか?」とこちらから、尋ねたりすると、堰を切った ように、しゃべり出す。 ・ しかも、旅が長い人ほどよくしゃべる。日本語に飢えているのかも?一人旅の者同志が、何かのきっかけにしゃべり出すと、盛り上がって話が止まらない。 旅の情報交換と、ハプニング談。そのハプニングを楽しんでいるようにみえる。 |
ここらへんで、 ベ ト ナ ム、 ト イ レ 事 情
ベトナムでは、公衆便所なるものは見付からない。 市内では、ホテルかレストランで借りるぐらいだ。しかし、ちょっと、郊外になると、食堂などのトイレ、ガソリンスタンドぐらい。今まで、東南アジアのいろいろな国のトイレには入って来たが…。 “穴のないトイレ”は、はじめてだった。一体どこにすれば…。多少傾斜があり 、“したあと”に手桶で水を流すだけ。それだけでも、驚くのに、その先に“ぶぅ ぶぅ”とブタが待っているのだ。 あ〜、もしかして、そのブタ君、さっきの“ラーメン”の中に入ってたぁ?
しかし、私は、あの“洋式トイレ”は余り好きではない。もちろん外出先でのことだ。 日本人の女性の多くは、そうだと思う。きれいでない便座にお尻をくっつけるのは、抵抗がある。かと言って、お尻を浮かしては、そうそうできる技ではない。 この点に関してだけは、男の人はいいなぁと思う。 チョロン地区のビンタイ市場に行った時、場所を聞いて行ったトイレが“有料トイレ”だった。 1人、500ドン。しかし、中に入って、驚いた。手を洗う場所で皆ゴシゴシと体を洗っているのだ。シャワーがあるわけでもない普通のトイレなのに。 そして、もっと驚いたことに、何人かの人が、“個室”のドアの前で、かがんで、“している”のだ。“個室”がなかなか空かないので、“待てない”のか、“待たない”のかは、わからないが…。私は、もちろん“待った”。 ホーチミンは、水は豊富なので、どこに“なに”をしても、どんどん水で流すので、匂いだけは、全くしないのが有り難い。ただ、トイレの中は、どこも水浸し。 |
カ ニ 料 理 P A R T V
ベトナム最後の食事。やっぱり、カニ! レックスホテルの裏手のほうにあるレストラン。“VY ヴィー”へ。 ここは、“HANAKO”の特集にも出ていた高級レストラン。ココナッツの殻に、牛肉とタマ ネギを入れて煮込んだものが、人気があるらしい。ミーハーにもそれを頼んでみた。 ココナッツのからのまわりに、アルコールを振りかけ、それに火を付けて、運んでくる。 外のテラス席だったので、炎がなかなかのムードを出してくれる。何と、生卵にそれを付けて食べるというから、“すき焼き”そっくり。味は少し薄め。日本から持参していた、“醤油”が活躍。 タイの“ナンプラー”やベトナムの“ヌックマム”もきらいではないが、やはり日本の“醤油”は最高。 そして、“蒸しガニ”。これが、なかなかの値段。今までとはチョット違って、Kgの値段になっている。カニ1匹の重さなんて、計ったこと無いので、想像つかない。 1Kg−195,000ドン。「小さいカニ、いる?」と控え目に尋ねると、暫くして、 「800gのがいる」とのこと。それでも、150,000ドンぐらいするが、オーダー。 なかなか、立派な“カニ”がコンロの上に乗せられて、“どうだ”っとばかり、やって来た。 その他、“カニと卵のスープ”と“ベトナムティー”をオーダーして、合計、240,000ドン。 高級レストランだが、1人¥1,000.−ぐらいだ。 今回の旅では、夕食は、かなり現地では、高級なレストランばかりで食べた。 本当は、もっと庶民的なところのほうが、値段が安いだけでなく、味もいいのかもしれないのだが…。やはり、私たちもガイドブックに頼ってしまった。 |