捕 ら ぬ 狸 の 皮 算 用 −スタンダードタイプ PART2

 カオダイ教・クチトンネルツアーを楽しんだ後、夕食は“ダイヴイー”というレストランのバイキング

(1人、65,000ドン)ですませ、9時ごろホテルに戻った。

安くて、おいしいレストランや、食堂、屋台は一杯あるのだろうが、どうしても暑いと、クーラーの効いたレストランにはいってゆっくりと食事をしたくなってしまう。考えてみると、日本にいるときも、暑い部屋で食事をするということがない。

一昔前なら、“暑くて、食欲がない”なんていう日もあったが…。贅沢になったもんだ。 

 

 “ ど ん な 部 屋 に 替 わ っ て い る か な ぁ − ”

 

 と内心、心踊らせて、フロントに部屋番号を尋ねると、

「部屋は替わってません。」「な、なぜ、朝、あんなに快く、替えてくれるって言ったのに−」

「すみません。もうどの部屋も一杯です」「私たちの旅行会社はファーストクラスのはずなんですが…」

「OSCトラベルからは、スタンダードの指定がきています。」

 

 どういう事なのか、さっぱり分からなかった。

ただ、朝のあの彼女が、伝えてくれていなかったとしか思えず、もう夜だから、OSCトラベルに電話してもしょうがないし、夜間の緊急連絡先である、日本人駐在員に、連絡を取るほどの事ではないので、ションボリしてまたもとの部屋に戻った。

 

 “期待しただけ損した。 完 全 に 、 考 え が 甘 か っ た 。”

 

 この時は、OSCトラベルが、ファーストクラスを何故、スタンダードの指定に変えてしまったのかと言う疑問で頭は一杯だった。でも、翌朝電話したところで、もうあと1泊だったし、どうでもよくなってきた。

 朝、荷物を急いでまとめ、冷蔵庫の飲み物も皆冷蔵庫から出してしまっていたので、ぬるくなっしてまったジュースをまた、冷蔵庫に戻した。

 

 その時、ふとあることに気が付いた。

冷蔵庫の音がしなくなっている。そして、部屋に2足あったゴム草履(安いビーチサンダル)が、よくおじさんが、履くような茶色の草履に替わっていた。

そして、私がホテルの便箋に書き置きしておいた、メッセージの紙がなくなっている。

 便箋に、“今日、部屋を移りますので、よろしくお願いします。”と言うようなことを英語で書いてバックのうえに置いといたのだが…。

 

メイドさんが、英語を読めたかどうだか、わからないが、メッセージの紙が無くなっていると言う事は、フロントに尋ねたか、何かアクションがあったことと思われる。

まさか、訳もわからず、客の書いたものを勝手に、処分するわけはないと思うし。

 その結果、冷蔵庫を直し、イメージアップのために、サンダルをワンランク上のものにしたのかも。

でも、それにしても、フロントに何もメッセージがないと言うのは、朝の苦労が、水の泡と言うわけで、う〜ん。

 

 しかし、体が疲れていたせいか、その夜は前日の夜が嘘のように、“ぐっすり”寝た。

人間、慣れと言うのも凄く、クーラーの音も、工事の音も、心地よい子守歌のようにしか感じられなくなった。  

 

“ い い き な も ん だ 。 ”

 

 何と、帰国してから判ったことだが、今回の私が参加したモニターツアーでは、

サイゴンホテル“スタンダードタイプ”を使用していることが判った。

たぶん、部屋のランクの話をした時、モニターツアーではなく、普通のツアーだと思って話してしまったのではないかとのこと。

 

 ピースインツアーの島村さんが添乗中で、不在だったため、他の人から聞いた話しだが。

私は、モニターツアーの方が、お盆の時期は、飛行機、ホテル、送迎を単純に合計したよりも高いと判った時点で、モニターツアーではなく、飛行機とホテル、送迎を依頼したつもりでいたのだが、確かに、日程表にも、“モニターツアー”と書いてあるので、そうだったのだろう。

 な 〜 ん だ、初めから、ファーストクラスだなんてさえ思っていなければ、全然、やきもきしなかったのに…。

 そう、寝に帰るだけなのだから、

 

“ ス タ ン ダ ー ド の 部 屋 で 十 分 だ よ 、 ま っ た く 。 ” 

 

 

  

 

 

                                               市 内 見 物

ホーチミン滞在3日目は、市内見物の日とした。

 

チ ョ ロ ン地区

 ホーチミン在住の華僑が多く住む、チャイナタウン。

ベトナム戦争終結時、また中越戦争時には、いろいろな、迫害、制約を受け、ボートピープルとして、海外に逃れた人も多く、さびれたようだが、ここ数年で、以前の活気を取り戻しつつある地域だそうだ。

 華僑が多いだけあって、看板にも、漢字が目立つ。

市の中心部からは、4〜5Km離れている。最近、運行しはじめたというバスに、レックスホテルの前から乗る。

このバスは、中型バスで、クーラー、TV付き。市の中心部とチョロンのビンタイ市場を往復している。

バス停も新しく、300m間隔ぐらいであるし、5分間隔で運行しているので大変便利だった。

何と言っても、安い。一人、2,000ドン。

 

 シクロ(自転車の前に人を乗せる台をつけた乗り物)で、20,000ドンぐらいとガイドブックに書いてあったが、その10分の1でチョロンまで行けるのだから、旅行者には人気者になるだろう。

 車掌さんが乗っていて、しかも英語が分かる人を採用しているようで、帰りもシン・カフェに翌日のツアーの申し込みに寄らなければならなかったため、頼んでおいたら、ちゃんと近くのバス停で降ろしてくれた。 

 

 ビ ン タ イ 市 場

 

 市の中心にあるベンタイン市場と並んで、2大市場となっているが、こちらは2階建てで、中庭を囲むようになっている。ベンタイン市場に比べて、旅行客をあまり見掛けない。

外国人が泊まるようなホテルからだいぶ離れているせいもあると思われる。

だから、英語が殆ど通じない。向こうから、呼び止めたりもしない。だから、もし欲しいものがあれば、

「ハウ マッチ」と聞いたあとは、紙に数字を書いてのやりとりとなる。

 

 

  テ ィ エ ン ハ ウ 寺 ( 天 后 宮 )

 

 螺旋状の巨大な線香がいくつもぶら下がっていることで有名な中国式の寺。

ビンタイン市場の次に、歩いて10分ぐらいのところにあるこのお寺を参拝。思ったより、小さい寺だ。

 中に座っていたおじいさんに、ガイドブックを見せながら、「ここですか?」と尋ねると、首を縦に振った。

そのおじいさんは、日本語をほんの少し、知っている(知っていた)様で、「東京?」と尋ねてきた。

日本語をほんの少し知っている大概の人が尋ねる、日本語のひとつだ。

「いいえ、埼玉」といちいち答えるのは面倒なので、「はい」と言うことにしている。

 

 そういうと、きまって、相手は嬉しそうにするからだ。

私は、ノートを出して「何歳?」と書くと「リュウスー」確か60なのだが、どう見ても75才以上と思っていた私は、ノートに「60」と書くとおじいさんは、「六十歳」とやはり書いた。

だいぶ、苦労したのだろう。そのしわでいっぱいの顔は、日本人の60才とはだいぶ違っていた。

 

 チョロンからまた市の中心部へ戻ったのだが、朝早くから出歩いたこともあり、だいぶ疲れたので、一度ホテルに戻って休息。シャワーを浴びてクーラーにあたるとさすがに気持ちいい。

ジュースを飲もうと、冷蔵庫を開けると、“焼きそば”が入っている。まさか、お昼に戻ってくるとは思っていなかったのだろう。−メイドの焦った顔が、目に浮かぶ。“ウッシッシ”

 

 1時間後にまたでかけ、夜戻った時にその“やきそば”は、もちろん消えていた。

 

 

  統 一 会 堂(旧大統領官邸)

 1975年4月30日、解放軍が、ここの鉄柵を戦車で突破し、ベトナム戦争が終結した。4ドル払って、入り口に行くと、椅子に座って待つように言われた。

どうやら、ガイドが付くようだ。5人で、各階ごとに替わるガイドの説明を聞いた。(正確には、聞こうと努力した)

 立派な建物なのだが、クーラーはないので、蒸暑い。

さっき、ホテルでシャワーを浴びたばかりなのに、汗が…。 

 

 次に、 戦 争 犯 罪 展 示 館へ。

ホーチミン市内には、ベトナム戦争当時の武器や写真を展示している博物館などが、いくつもある。

 その一つである、戦争犯罪展示館は統一会堂からそう遠くないところにあるのだが、ちょっと女子学生に、場所を尋ねたばっかりに、広い統一会堂の敷地を1周するはめになってしまい、4時45分の閉館30分前にやっと、到着。

 似たような、博物館が一杯あるのだから、女子学生が、間違えても無理はない。

 

 入口で入館料(7,000ドン)を払おうとすると、“だめだ”と言うようなサインをしている。

そこで「20分だけでもいいのですが」と言うと「OK」そのうえ“タダ!” ラッキー。

 ここには、枯れ葉剤による被害状況が詳しく説明してあり、何とホルマリン漬けにされている“奇形胎児”まで展示されている。

 それぞれの博物館、全部意義のある、重要なものばかりなのだろうが、会った日本人団体客の

「ここも、同じような物ばかりやわぁ−」と言う感想もうなづけそうだ。

 

  サ イ ゴ ン 大 教 会

 

 カトリック教会。夕方5時からのミサに少し、出席。なかなか、荘厳な雰囲気。 

とても、美しい2つの尖塔を持つこの教会は、クリスマスなどに灯火されるイルミネーションがとても奇麗だそうだ。

 

   中 央 郵 便 局

 19世紀末のフランス統治時代の建物。ここで売っているカードは、お土産物屋のものより、質がいいと思った。

初日、いや正確には、2日目の未明に書いた8枚の絵ハガキは、サイゴンホテルのフロントで投函を頼んだ。郵便料金が値上がったらしく、日本までは、1枚5,000ドン。

40,000ドンを払おうとしたら、8枚のうち4枚は、カナダの友人宛てだったため、「1枚7,000ドン。」と言われた。考えてみれば、ベトナムからカナダは日本からよりも遠いのだった。

でも、日本から出すよりも安いのだ。

 日本には1週間で到着した。ちゃんと、どのぐらいで届くか知りたかったので、我家宛てにも出したのだが、ハガキに貼られていた切手は、とても可愛い柄だった。

 


  

 

 カ ニ 料 理   P A R T U

 

 3日目の夕食に選んだのは、“95ディンティンエンホアン”と言うカニ料理専門店。

“カニ料理専門店”とガイドブックに書いてあるのだが、実際は、ベトナム料理店と言う感じだ。

 ここへは、雨も降っていたし、一日市内観光をして、疲れていたので、サイゴン教会近くから、初めてタクシーを利用した。タクシーを待っている間も、シクロのおじさんが、乗ってくれとうるさいのだが、雨の中では乗る気もしない。まして、ベトナムのシクロは基本的に1人乗り。

 

 いつも“1ドル”と言うのだから、相手に全くしなかった。

ホーチミン市内は、殆ど歩ける距離だし、2台のシクロに別れて乗るのは、とくに夜など抵抗感があった。

 黄色のVINA TAXIを拾って乗る。 タクシーは、効きすぎているぐらいクーラーが強い。

“95ディンティンエンホアン”まで、12,000ドン。やっぱり、シクロ1台分の値段で行けた。

 

 ガイドブックの力は強い。日本人の先客有り。しかしここは、クーラーのない庶民的な店だ。

店先で、作っている。幸いにも、雨が降っていたので、涼しかったが、暑い時に行ったら、その調理の熱気で、ちょっと大変だと思う。

 

 頼んだのは、食べやすい“カニの爪だけの蒸しもの”。

“パクッ”と食べられておいしい。

“カニの爪のフライ”は、てんぷら風を想像していたのだが、衣がホットケーキのような味。

ちょっと甘いがこれもなかなか。“カニと春雨のスープ”は絶対お勧め。

カニ肉が、一杯はいっているのに、16,000ドン。やはり、日本で食べると高い素材を使った料理を思う存分食べられると言うのが、嬉しい。

これにベトナムティー3杯を注文して、合計100,000ドン。 

2人で¥1,000.−しない。

“えっ、行きたくなったって?”

 

 ここのオーナーと思われるおばさんは、英語が上手だ。

しかも、私たちに、名刺を渡したところを見ると、もっと、日本人を紹介して欲しいのだろう。

 確かに、この庶民的な料理屋で、1人、¥500.−も使ってくれるなんて、日本人ぐらいだろう。

(ベトナム人の平均給与は1ケ月¥3,000.−ぐらいと言う)

 

 満足した気分の私、おばさんに「メニューの“CRAB CLAW”は、“カニのHAND”と言うと判り易いですよ」

などと、余計なアドバイスをしていた。

 なぜだか判りますか? そう私たち、“CLAW”がなんだったか、思い出せず、おばさんが、手をチョキチョキして「そうか、爪だ、それ下さい。」と言ったのだった。

 

 

ガ イ ド ブ ッ ク の 影 響

 

これは、至る所で、感じた。

ベトナムのガイドブックが少ないので、まず、殆どの人が、“地球の歩き方”をメインに行動しているようだ。

 

 そこに、“安くて、おいしい”と書いてあるレストランには、必ず、日本人がいる。

“BACH DANG−バクダン”のココナッツアイスクリームなんて、確かに、ココナッツの中に、たっぷりバニラとチョコレートのアイスクリームが入っていておいしいのだが、1個22,000ドンもする。

日本円で200円ぐらいなのだから、日本人にとっては、安いぐらいだが、ベトナム人の1日分の給料よりも高いアイスクリームを日本人が、次ら次へと食べていく姿をベトナム人はどう見ているのだろうか?

ここの、ココナッツアイスクリームも値上がりしたようだ。

観光客が増えれば増えるほど、庶民の食べ物まで価格が上がっていく。 ちょっと、申し訳ない気がする。

 

 シヨッピングにしてもそうだ。ガイドブックに紹介されているものが、飛ぶように売れるらしい。

ドンコイ通りの、カード屋さんなんて、自分の店が取り上げられた“HANAKO”の特集記事をしっかり貼りだしていた。

 でも、取材した人が、お店の人の言い値で、値段を紹介しているのも多く、実際はもっと値切れるところが、本に価格が書かれていると、日本人には、それが定価のように勘違いしてしまい、本当は、もっと安い品をそのままの言い値で買ってしまうようだ。

これがまた、日本人はこの価格で買って貰えると思われてしまうので、結果的に、土産物価格を上げていることになる。

 

 レックスホテルの向かい側に、“国営百貨店”というのがあり、とても古いが、一応、定価が書いてあるので、それを把握してから、市場などに行って交渉すれば、もっと安くいろいろなものが買えたと思う。

−というのも、国営百貨店に行ったのが、もう3日目の夕方だった。 

 

 

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