カ ッ パ ド キ ア → ア ン カ ラ
ガイド・ドライバーを伴った大名旅行も今日で終わり。
2泊したカッパドキアロッジに別れを告げる。
なかなか良いホテルだった。
2回の夕食は、全く違った料理を用意した豪華なブュッフェスタイルだった。
カッパドキア地方を気球に乗って空から眺めるツアーや乗馬なども用意されている。
どちらも挑戦したくなるが、時間がないツアー客には無理な話だ。
天気に左右されるせいか、日本の旅行会社の中で、ツアー日程にこの2つの企画を盛り込んだものは見たことがない。
カッパドキアに1泊だけのツアーが殆どのようだ。
*ネヴシェヒール
ホテルから一番近い町、ネヴシェヒールでフリー時間を1時間半ほど作ってもらう。
ここは、カッパドキア観光の拠点となっている町の一つだが、奇岩都市の雰囲気はない。
土産屋らしき店と言えば、絨毯屋ぐらい。しかし、どこの店も声を掛けてこない。
店頭に玄関マットを一杯並べている店のひとつにこちらから声を掛ける。
と言うのは、“我が家の玄関マットをトルコで買ってもいいな”
“日本で4千円ぐらい出せば買えるから、それより安ければ、記念にもなるし”と言う思いが、旅行出発前からあったからだ。
ガイドさんと行った昨日の立派な店には、機械織りの安い品はなかったので諦めていたが、
「ネカダル(いくらですか?)」 と言いながら電卓を差し出すと、「650,000TL」
「え! 800円ぐらいだ!」
多分安くても、1,000円以上はすると思っていたので、いきなり気分上昇!
小さい座布団の大きさのは、20万TL(250円)。
一緒に買ったら安くして貰えるかどうか、ジェスチャーで尋ねると、首を横に振る。
しょうがない。
玄関マットと小さなマット2枚を指差し、電卓で、1,000,000と打つと、「OK」。
5万TLだけまけてもらった。
高く買ったのか安く買ったのかは分からないが、他の店では、もう尋ねなかった。
これ以上買う予定がないので、尋ねた所で、もっと安かったらがっかりするだけだから。
なかなか綺麗な玄関マットを安く買えて、嬉しくなる。
トルコ人からすれば、“そんな、価値もないものを日本に持って帰って…”となるのかもしれない。
日本人が、空港で、どう見ても、仮装行列の衣装にしか見えないナイロン製の派手な着物を買っていく外国人を見て、あれを 日本で着物を買った”と思われたら悲惨だと思うのと同じかもしれない。
しかし、西洋人は、バスローブとしてあの派手なペラペラの着物を使うのだから、軽く、安い“偽者着物”で充分なのと同様、私も自分の家で使うだけだし、汚くなったり、飽きたらまた買い代えればいいだけなので、“にせもの”で充分。
その次に私の目に止まったのが、文房具店のラッピングペーパー。
物価の安い国では、特に無くてもいいが日本で買えば高い物で、余り思う存分使えない品を見付けると嬉しくなる。ラッピングペーパー、言うなれば、ただの包装紙だが、日本では、プレゼント用にできる可愛い柄だと、1枚100円する。
そこで、1枚2万TL(25円)のラッピングペーパーを15枚購入!
新しいカメラでバシバシ取りまくっていた主人は、既に日本から持ってきた4本のフィルムを使い果たしていたので、カメラ屋で36枚撮り1本購入。35万TL(440円)
フィルムはトルコの物価から考えると高い。
しかし、MADE IN JAPANの品が、日本よりも安いのは不思議だ。
日本では、最近1本200円ぐらいで買えるものもあるが、それは皆、東南アジア製だ。日本製は、高い。
主人がタバコを買う。トルコ国内産のタバコは、1箱7万TL(85円)だが、葉を輸入して、トルコで作っている“Salem”は、1箱13万TL(160円)。その後、空港の免税店で、「日本で買うと1箱250円するのだから買っておけば」と言うと「味が違う」のだそうだ。
ネヴシェヒールの住宅街を歩き回り、写真を撮らせてもらったりしているうちに、あっという間に1時間半が経ってしまった。
ジェスチャーで「写真撮ってもいい?」と尋ねると、わざわざパンを前に並べてくれた、パン屋さん、子供と一緒にカメラに入ってくれたお母さん方など皆親切だった。
昨日、「写真撮ってもいいですか?」と英語で尋ねたら、「1ドル」と言った観光地のおばさんとは大違い。
ファトゥマさんいわく、「ネヴシェヒールの街でフリー時間を取ったのは、始めてです」
“とっても楽しかったですよ!”
ただし、土産屋もない知らない街をフラフラ歩き回ることが楽しいと思える人でないと、迷子になるだけになりそうですが。
アクサライのキャラバンサライ(隊商宿跡)、一面真っ白な塩湖(トゥズ湖)を途中見学した後、アンカラへ向う。
お昼は、ドライヴインで。ここで食べた、“ハッシュラマ”というシチューに柔らかい肉が入っている料理が、とってもおいしかった。
“クス ピルゾラ”というピラフみたいなものも、 GOOD!これにスープ、チャイを頼んで、2人で、65万TL(820円)
このお昼を食べると、あと1時間ほどでアンカラに入る。
アンカラ駅でファトゥマさん、フセインさんとお別れすることになると思っていたので、昼食後、日本から持ってきていたプレゼントと心ばかりのチップを2人に渡すと、
「なんか、恥ずかしいです。
トルコでは当たり前ですが、日本人はそういう習慣がないのを知っていますので」と言った。
“恥ずかしい”と言う意味はよく分からなかったが、たいして入っていないチップの入った袋を前にそんなに恐縮されても困るなぁと思った。
多分グループツアー客で、最後にガイド・ドライバーへ個人的にチップを渡す日本人は余りいないのだろう。
私たちもグループツアーで参加した時には、渡した事はない。(殆ど送迎だけだが)
レストラン、タクシー、ホテルなどでのチップはガイドブックに書いてあるので、気にする人が多いが、日本人にそういう習慣がない以上、短期間の旅行で、現地の習慣に慣れることは難しい。
ガイド・ドライバーへのチップは、旅行代金に入っていると思う人が多いので、現地の旅行会社は日本語ガイドには、チップを期待できない分余計に給料をあげてほしいと思ってしまう。
「私の家に来ませんか」アンカラで夜行寝台車に乗るまで、たっぷり時間があることを知っているファトゥマさんからの、出会った初日にも言われたこの言葉に、
「喜んで」お邪魔することにした。現地の人の家に遊びに行けるなんてラッキーだ。
御主人が、いつも掃除、洗濯を忙しいファトゥマさんの代わりにやってくれるとはいえ、通算2週間もあけたままの家に、招待してくれるなんて、何とサービス精神に富んだ人なのだろうと感心してしまう。
もし、私の家に、初めての人を招待するなら、せめて、30分の掃除時間が欲しいところだ。
そのうえ、話していると、ファトゥマさんは、私たちと同じ夜行寝台車で、次のツアーの準備にイスタンブールに行くと言うのだ。それまでの貴重な時間を潰してしまって本当に良いのだろうかと思った。
アンカラに住んでいるファトウマさんは、事務所がアンカラには無いため、いつもイスタンブールとアンカラを往復しているようだ。(東京、名古屋間ぐらい離れている)
自宅にFAXもあるし、携帯電話も持っているのに、国内線のチケットやツアー日程の確認、そして私たちからのアンケートを渡すために行かなくてはいけないという。
何とハードな仕事なのだろう!
ア ン カ ラ
*ファトゥマさん宅
3時ごろアンカラ着。フセインさんもアンカラに住んでいるので“早く家に帰りたいのでは?”と思ったが、そのまま車は、ファトゥマさんのアパートへ。
アンカラの中心地からそう離れていない新興住宅地のような所だった。
沢山高層アパートが立ち並んでいる中のファトゥマさんのアパートは、外見からすると、かなり古かった。
エレベーターホールも暗かった。
しかし、家に入ると、大きなリビングにはトルコ絨毯がもちろん敷いてあり、大きなソファ、豪華なリビングボード。
キッチンには、食器洗い機まで備わっている。
夫婦の寝室、ゲストルームまで見せてくれる。
西洋人と同じく、まずすべての部屋を案内してくれた。
彼女は、トルコ生まれだが、ドイツ育ちなので、彼女のやり方=一般のトルコ人のやり方とは判断できないが、日本人の寝室などはあまり見せず、隠したがる案内の仕方より、さっぱりとしていて気持ち良い。
どこの部屋も、きちっと掃除、整頓してあり、ベッドメーキングまで毎朝するご主人ってどんな人だろうと思う。、
ツアー中に彼女は、“日本人は、中流が多いダイヤモンドの形ですが、トルコではお金持ちと、貧乏な人が多く、中流が少ない鼓型です”と聞いていたので、
「ファトゥマさんの生活はトルコではどの位置にあたるのですか?」と失礼を承知で尋ねると
「くびれているところです」と。
首都アンカラの80uはありそうなアパートに住んでいる彼女と、59uの食器洗い機もない築18年の社宅に住んでいる私たち。
−日本人は本当に金持ちなのだろうかと頭の中で比較していた。
彼女は、正式なトルコのチャイを目の前で入れてもてなしてくれた。出前で、クッキーまで。
クッキーの出前なんて始めてだ。
日本では、うどん・麦・ピザぐらいしか知らない。
彼女の家から、帰国便のリコンフォームをしてもらう。
リコンフォームをしたことがないという彼女に、トルコの電話は、専用のカードかジェトンを買わなくては出来ないし、アエロフロートのオフィスの人が、私の英語力に親切に対応してくれるとも思えずお願いしたのだ。
2時間ほど話をした後、フセインさんがクズライというショッピング地区まで送ってくれることになった。
日の暮れる前に、アンカラ城砦にも行こうと思っていたが、そこからタクシーで行けるのでかまわなかった。
アンカラ駅に荷物を預けようと思っていたのに、”主人の車で、私もアンカラ駅に行くので、持っていってあげます”いうファトゥマさんのご好意にまた甘えることとなった。
フセインさんが、運転しながら何か言っている。
どうやらアンカラなんとかと言って、指を上にあげている。
勝手に、“アンカラ城砦まで送ってあげる”と思い“THANK YOU”の連発。
しかし、本当に、アンカラ城砦の入り口まで送ってくれた。 有り難い!
ここで、フセインさんとはお別れ。
いつもにこやかで、優しそうな笑顔のフセインさん。
言葉の壁は厚く、お話はあまりできなかったけれど、パムッカレの石灰棚に2度も行ってくれたり、ホテルの中を案内してくれたりとても親切なドライバーさんだった。
希望を言えば、英語が少し話せたらなぁなんて! トルコ語が全く出来ないのを棚に上げて言えば!!
*アンカラ城砦
急な道を登っていると、一人の少年が近づいてきた。「ツアー?」と英語で話しかけてきた。
この手の少年は、どこの国でも同じ。
観光客を案内して(勝手についてきて)あとで、チップを貰うというものだ。
ただ景色を見に登るだけなので、「ガイドは要らないよ、お金無いよ」などと言ってみるが、ボロボロの靴、汚れた服を着たこの少年は、近づいてくるほかの少年に“僕の客だ”と言うようなことをトルコ語で言いながらついてくる。
道がちょっと分からなくて立ち止まると、“こっちこっち”と手招きする。
こうなっては、もう“客”になるしかない。
上まで登りきると、アンカラの町並みが見渡せた。
「何才?」「13才」「どこで英語習っているの?」「英語の学校」どう見ても、彼が、月謝を払って、英語の学校に通えるようには思えなかったが…。
以前、アンカラで西洋人の青年が、貧しい子供達にボランティアで英語教室を公園で開いているというテレビ番組を見たことがあるが、彼も生活費を稼ぐために、必死に英語を覚えたのだろう。
最後に別れる時、普通は黙ってチップをあげれば言いのだが、
「いくら?」と聞いた主人に、「1ドル」と言う。
私も1ドルあげようと思っていたので、そのまま渡そうとすると、「2ドル」と言う。
素直に1ドルを出した私に、もっと多く言えば良かったと思ったのだろうか?
城砦の付近で、私の顔を見るやいなや、行きも帰りも走って売りに来たおばさんの2ドル(230円)のスカーフを15万TL(190円)に値切ってしぶしぶ買ってあげたのを見て、本当にお金が無なさそうだと判断していたのかどうかは知らないが。
「もう遅いよ」と言いながら、新札の1ドルを手渡すと、彼はそれを手でひらひらさせながら、こっちをずっと見ていた。
いろんな所で出会った、母親と一緒の子供達が、大きい瞳でにこにこ笑っていたのが印象に残っていたが、この13才にしては体の小さい少年の輝きのない瞳が彼の生活を物語っているようで少し寂しかった。
* ヤルンキロのみかん
ウルスという地区のスーパーで買い物したりしながら、生鮮食品の市場でみかんを買う。
表示はどうやら1Kgの値段なのでファトゥマさんに教えてもらった「ヤルンキロ(500g)」と言うと、難なく買えた。
「すごーい!通じた」たった3万TL(38円)で7個も入っている。
安いのも嬉しいが、トルコ語しか話さずに買い物できたことがもっと嬉しかった。
野菜は日本の5分の1ぐらいの値段。
500円もあれば、持てないほど、買えそうだった。
* 夕食は、ドネルケバヴ
クズライ地区まで歩きながら、レストランを探す。綺麗なレストランらしき店の前で立っている警官に尋ねると、“ここは軍の施設”だと言う。
しょうがないので、その警官に、ドネルケバブの店がどこにあるか聞き、一軒の店に入る。
ドネルケバヴとは、薄い羊の肉を張り付けて固めたものを回しながら焼き、それを削ってパンに挟んで食べる。
肉の味はおいしいが、パンが大きすぎて、噛むのにだんだん疲れてきた。
そこで肉だけ全部食べパンは半分残した。ドネルケバブ1個11万TL(140円)
その後マクドナルドでアイスクリームを食べる。
ハンバーガーセットは日本円で300円ぐらいしていたようだった。
日本でもセットで400円なので、トルコではまだ外資系の価格は、現地の食べ物に比べるとかなり割高だ。
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