パ ム ッ カ レ

 

 3時すぎようやく、パムッカレ村に着く。

下から見た石灰棚は全体が白い壁と言うだけで、とくに迫力は感じなかった。

早く上に登ってあのガイドブックに出てるような景色を見たいと思う。

  …がその前に、石灰棚の裏側にある“ヒエラポリスの遺跡”の中の、古代墓地跡と、門跡を見学。あとになって気が付いたが、“パムッカレにも似たようなのがあるようだからエフェスのは省いてもいいや”と思っていた“円形劇場跡”に行かなかった。

(その時は、石灰棚で頭が一杯で、忘れていた!)

 

 

 そして、とうとう 石灰棚の登場! 

「短パンを持っていますか?」「え!!」

10月にまさか、パムッカレの水の中に入るなんて想像しなかった私は、水着どころか短パンも持ってきていない。

しかし、この日のパムッカレは長袖では暑いほどいい天気。

車も、クーラーを入れていたのだ。石灰棚には、水着姿の西洋人が一杯いる。

そこで、主人は持っていた短パンに着替え、私はスパッツの裾をめくり、靴下を脱いで石灰棚の中を歩く。

 

 この景色は、やはり来た甲斐があった。結構人が水に漬かったり、日光浴をしているので、ガイドブックの写真とは、多少違うが、今まで見たことのない風景に、童心に返って、はだしで、西洋人の仲間入り。皆さん、本を読んだり、寝転がったりしてリラックスしている。

 「日本人がいないねぇ」「そう言えば、イズミールに着いてから一人もあってないねぇ」

といった途端、後ろのほうで、

 

 

 「皆さん、ここで写真を撮ってください!」と聞き覚えのある言葉。離れていても、日本語だけは、しっかり耳に直ぐ入ってくる。

 後ろを振り向くと、15人ぐらいの団体が、カメラを手に一斉にシャッターを切っていた。

 「5分程で、裏の遺跡見学に行きます。」と急がされている。折角、やっとこの大自然の景勝地に着いたのに勿体ないことだが、これから、遺跡を見学して、ホテルに6時頃までにチェックインしなければいけないのだろう。

 

 ファトゥマさんが、このツアー中よくこぼしていたことのは、日本人のグループツアーの多くは、短い日程で、沢山の予定を組んであるので、時計を気にしながら、どんどん進めていくと、“もう少し、じっくり見たい”と言われ、ゆっくりしてホテルに到着するのが遅くなると、

“おなかがすいた。もうこんな時間なのに、まだホテルに着かないのですか?”と言われてしまう。

なかには、“もう似たようなところは省いてもいいから、ホテルでゆっくりしたい”

と言う人が現れて、他の人に、どう思うか尋ねたところ、“それでいいです”と賛成されたので、見学箇所を省いて、ホテルに早く行ったら、後になって、日本の旅行会社から

“予定にあるところは、全部行くようにして下さい。お客さんから、“行きたくないという人に合わせざるおえなかった”。

と言うクレームが来ました。”と言われたそうだ。

 

 これはよく理解できる。

グループツアーで何日か、一緒に行動していると、みんな仲良くなり、その中に一人ぐらいリーダー格のような人が現れる。

そうなると、そのリーダー格の人が提案することには、雰囲気上反対できなくなってみんな一応同意する。

が…、影で不満を言ったり、帰国してもう一度、ガイドブックを見直したりしていると、“やっぱり行っておきたかった”となるのだ。

 

 このような経験を踏まえ、ファトゥマさんは、予定表どうりに、書いてあるところは全部行き、書いてない所には、行かないと言う主義を徹底しているようだった。

 

“パムッカレは夕日がすごく綺麗”とガイドブックに書いてあるが、まだ当分沈みそうにない。じっとここで待っていてもらうのは、悪いので、「ここにはホテルから歩いてこれますか?」と尋ねると、かなり遠いようだった。

でもタクシーを呼んででも、また、夕日の頃来ようと思った。

 ここへ来る途中、料金所があり、確か1人30万TL(370円)ぐらい払っていたので、

「一度払った領収書があればまた通過できますか?」と尋ねた。

ファトウマさんは1日に2度も案内したことはないらしく知らなかったが、料金所で聞いたところ、OKとのことで、さっきファトゥマさんが払っていたチケットの半券を借りた。

                      

 “リッチモンドホテル”というその名の通り、豪華なホテルに到着。

しかし、回りにはな〜んにもない!

これは、歩いてどこにもいけない。

まだ明るいし、余力もたっぷりな私たちは、村を歩き回れないことが辛い。 

夕日の石灰棚を見に行くタクシーの話をしていたところ、ファトゥマさんが、フセインさんに通訳したのか、

「 私がまた連れていってあげる!」とフセインさん。

 何てやさしいんでしょう! そのご好意にどっぷり甘えて、6時にまたフロントで会うことを約束する。

 

 フセインさんと、私たちで、40分後また石灰棚へむかう。

フセインさんは、日本語は勿論、英語も喋れないので、お互いのコミニュケーションはとても難しい。

 一つのホテルの前に車を止めて、“こっち、こっち”と言う動作をする。

フセインさんについてホテルの中に入っていくと、そこにはエメラルドグリーン色をした温泉プールがあった。

ここは、ガイドブックにもよく出ている、プールの中に、遺跡が沈んでいるホテルだった。

数人気持ち良さそうに泳いでいた。

ここのホテルだったら、石灰棚を何度も見学できていいなぁと思った。

 

 ちょっと石灰棚のすぐそばにあるおみやげ屋を覗いてみた。

“らくだ”の骨で作った小さな小物入れを見ていると、“安いよ”と声を掛けられた。ひっくり返してみると、“25ドル”。

思わず、「高い!」と言って、帰ろうとすると、後ろから店員の “ ケ チ ”と言う声が…。 一体誰が、そんな言葉を教えてしまったのだろうか…。

どんな客でも、この言葉を耳にしたら絶対不愉快になるし、絶対客に向かって言ってはいけない言葉なのに。

 

 その後、夕日が完全に沈むまで、石灰棚にいた。フセインさんに感謝!

 

ホテルに戻ると、フセインさんが、また手招きする。

そのままついて行くと、そこには、すごく綺麗なプールがあり、その横には、温泉プールが…。水着を持って来なかったことを後悔する。

その次ぎにまた打撃を受けたのは、インドアの温泉プールもあり、おおぜいの西洋人が、赤いガウンを着ながらあちこちのプールを渡り歩いていたのだ。

 

 温泉大好きな私たちにはショックだった。

フロントにレンタル水着があるのか尋ねるが「NO」売店で見ると、どう考えても、私が2人一緒に入れそうなサイズのものだけ。

“あ〜あ、一言S社からどんなホテルなのかアドバイスがあったらなぁ〜”と思った。

 

 ファトゥマさんによると、グループツアーの場合には、夕食時間も決まっていて、時間がないせいか泳ぐ日本人は殆どいないそうだ。

赤いガウンを着てホテルの中を歩き回る日本人の姿は、絶対見たくないが!

 

 私たちも、どんなに綺麗なプールがあっても、海外旅行で泳いだことは殆ど無いが、この

 “ 温 泉 ”と言う二文字が、後悔しても後悔し切れないほど残念だった。

  (裸でないと温泉に入った気がしないからと主人はそんなに残念がっていなかったが)

 

このリッチモンドホテルの設備はとても豪華だった。

ただ、“冷蔵庫がないのは、夏はつらいだろうなぁ”と思っていたら、無かったのは、私たちの部屋だけだった。どうやら故障中か何かで取り外してあったようだ。

 

 夕食は、プールのそばのガーデンで。外で食べても寒くない気温だったし、何と言っても雰囲気が、とっても良かった。

ブュッフェスタイルで、豪華な食事をする。

宿泊客はかなり多い。

しかし、日本人は私たちだけ。これは珍しいことのようだった。

 

 

パムッカレ→カッパドキア

 

 

 今日の宿泊地は、奇怪な岩々のあるカッパドキア。パムッカレから650Kmも離れている。グループツアーでは、途中にあるコンヤで1泊するのが多い。

しかし、私たちは、カッパドキアで2泊したかった為、この日は殆ど、ドライブDAYとした。

 車が良いせいか、いくら長く乗っても疲れない。

そして、このパムッカレからカッパドキアまでの風景が、また実にいいのだ。

 ファトゥマさんが、「この曲がとってもよく合うでしょう?」とかけたのが、

“喜多郎のシルクロード”。

実に、“ピッタリ” 本当のシルクロードの上でこの曲を聞くことができるとは思わなかった。 ♪

 

 シルクロードと言うと、中国だけのイメージが強いが、一番西はトルコなのだ。

行けども行けども、雄大な大地が拡がる“悠久の大地”はいつまで見ていても飽きない。

 

 

*コンヤ

 

 コンヤという街は、イスラム教神秘主義の一派“メヴラーナ教団”の発祥地として知られている。メヴラーナ信者は踊ることで、無我の境地に達し、神と一体になるという。

そのぐるぐる旋回する表情は独特の恍惚の世界を物語っているそうだ。

 

 “ハリリィブラヒム”という“タンドル”専門店で、昼食。

ラム肉を何日もワインなどにつけておいたものを焼いたのが、“タンドル”。

それを“ピデ エキメキ”というインド料理の“ナン”みたいな薄く焼いたパンと共に食べる。とても美味しかった。

 

 「飲み物はどうしますか?」と聞かれ、「チャイ」と言うと、

「チャイでもいいですが、このお肉には、コーラなどが合います」と言われ、主人はコーラ、私はジュースを注文する。

どうやらチャイというのは、食事の後に飲む物であって、食事をしながら飲むものではないらしい。

しかし、ジュースはとても甘かった。今後は何と言われてもチャイにしよう! 

 

 ラム肉を食べながらチャイを飲むという事は、日本人が、お寿司屋さんに入って、外国人に・「飲み物どうします?」と尋ねたとき、「コーヒーにします」と言われたような違和感が在るのだろうか? 

 「折角コンヤに来たのだから、メヴラーナ博物館を見学しましょう」と言う事で、昼食後に立ち寄る。予定に入っていない見学なので、入場料を支払おうとするが、ファトゥマさんは“いいです”と言って受け取らない。

 彼女の服装・持ち物・話から想像すると、とても豊かに思えるが、大学卒の初任給が、エリートの銀行員で、月5万円ぐらい、普通のサラリーマンが3万円ぐらいと聞いていたので、ポケットマネーから出させては、申し訳ないと思ったのだが…。

 

 

 

*カ ッ パ ド キ ア

 

 また軽快にドライブして、あたりが薄暗くなる頃、漸くネヴイシェヒルという街から車で、5

分ぐらいの“カッパドキアロッジ”に到着。

 ロッジと言う名前なので、小さいホテルかと思っていたら、“ど〜ん”と大きな立派なホテルだった。しかし、ここも回りには何もない。またもや、ぶらぶら街を歩くことは出来ない。

 カッパドキアのどこら辺にホテルがあるのかも分からなかったので、もちろん夜に出歩く計画など立ててなかったが、“星(ホテルのランク)”の数が落ちても、まちなかにあるホテルが私たちには合っていると再び思った。

 

 部屋に入ると、パムッカレで私たちの部屋だけに無かった冷蔵庫がまた無い。

ファトゥマさんに、「何か気になったことがあればすぐ言って下さいね」と言われてたので、一応聞きに行く。

 しかし、彼女の部屋にも冷蔵庫はなかった。

フロントに電話してみると、初めから冷蔵庫はないそうだ。

今は、朝・夜冷え込むぐらいだから、必要無いのだが、真夏に泊まって、冷蔵庫が無かったら、辛いだろう。ジュースなどを売っている売店もないので、ルームサービスで頼むしかない。

豪華なホテルなのに、飲料水も置いてない。

 もちろん、私たちは、冷蔵庫があっても、その中の高いジュースを飲むわけはなく、外の店で買ってきたものを冷しておくわけだが。

 コンヤの店で1gのジュースを買っておいて良かった。 

 

 彼女の部屋は私たちと全く同じツインルーム。

一人だとシングルかと思っていたが、どうやらツインルームの方が、多いのだろう。

 

 このツアーが始まって、ちょっと驚いていた。

昼間は一緒に行動していても、夜は、別のホテルにドライバーさんは泊まるのだろうと思っていたので。

 しかし、この4泊とも、ガイド・ドライバー共に、ホテルも食事も同じだった。

日本では、バスガイドやドライバーの専用旅館や、専用部屋がある。

 それは、お客さんの部屋よりも小さいのが普通だしガイドやドライバーの食事メニューも別なので、多少部屋の向きなどが違うときもあるようだが、客と同じ大きさの同じタイプの部屋に1人で泊まれるトルコのガイド、ドライバーは待遇が良いのかもしれない。 

 でも私がガイドなら、ホテルはガイド専用のホテルでいいからその分手当てが増えたほうが嬉しい!と思う。 

その方が、客からも夜は完全に解放されて、ゆっくり休めそうだし。

 

 フロントに提示してある料金は、ツインルーム1泊9,000円ぐらいする。

いくら、旅行会社の割引き値段があるとはいえ、毎日、3ルーム。

イズミールもいれると、4泊分。

 3ルーム × 4泊分 =12ルーム  “すごい数”

                                  

  “これって、私たちのツアー代から全部出るのかなぁ〜?”赤字では?

 それとも、何か特別な制度があるのだろうか?

 

 夕食は、又豪華なブュッフェ。おなかがすいた時にいつでも食べられるのが嬉しい。

おなかがすいていないときに揃って食べなければならないのは苦痛だからだ。

 私たちが、8時半ごろ夕食を食べに行くと、ファトゥマさんとフセインさんがちょうど食べ終わったところだった。

 

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